Wenkerの調査票(続々)

 同タイトルの3本目の記事になる。我ながらしつこいと思うのだが、「ドイツ言語地図」はそれくらい重要なのだ。回収された調査票が5万通もある方言調査は前代未聞であるし、ジリエロンの調査と並んで言語地理学の源流でもある。
 まず、前回の記事を書いたあとで浮かんだ疑問である。Wenker以後の調査でドイツ帝国の外を対象としてWenkerの調査を補完したことはわかった。だが、ほかにもドイツ人が集住していた地域はあったはずだ。
 すぐに思いつくのは、最初に書いたボルガ川流域である。しかし、あの地域はソ連の領域で、調査票の送付先の小学校がどこにあるのかなどもわからないし、共産主義体制のもとで外国からの接触が難しかったことは想像できる。全くの想像だが。
 もう一つはオーストリア・ハンガリー帝国の領域のなかのドイツ人集住地である。現在のルーマニアの西部、ハンガリーとの国境に接しているトランシルバニアと呼ばれている地域がある。ここはドイツ人が古くから入植し、ドイツ人とハンガリー人とルーマニア人が混住していた。大戦間の時代はルーマニアで戦後もルーマニアだが、この地域はドイツ人が多数を占める学校もたくさんあったはずである。
 以上の地域はドイツ人が多く住んでいることが知られている。ところが、私がハンガリーで見聞きしたところでは、ブダペストの近郊でもドイツ人の集落はあるようである。そこから想像すると、チェコでもハンガリーでもドイツ人だけの集落はぱらぱらと存在しているのではないか。そのような分布の場合、どの小学校がドイツ人が多いかを捕捉するのは大変な作業になる。トランシルバニアのような限定された地域でなく、ハンガリー全土に可能性があるからである。しかもドイツから見れば外国である。したがって広い範囲に網をかけることはあきらめたのだろう。
 もう一つの疑問は調査そのもののやり方にある。Wenkerは各地の学校に調査票を送り、その調査票を学校の先生が記入して返送した。いわゆる通信調査である。日本の「口語法調査」も同じ方式だが、同じような問題が存在する。言語学や音声学の知識のない人の書き取りが正確かどうか検証のしようがないのである。
 ドイツ語の場合、長母音だけで八つある。そのうち三つはウムラウトで、もちろん表記法のなかにもそれは含まれているのだが、この八つの母音は地方によって微妙に異なっている。実際に返送された調査票がどのように記録されていたのかはドイツ言語地図の分析をおこなっているマールブルクの研究所の報告を見るしかない。国研の蔵書調査の結果の一部としてこのサイトで報告できるかもしれない。
 なお、ドイツ言語地図はマールブルク大学の研究所のホームページ上にDigitaler Wenkeratlasというエントリーがあり、オリジナルの地図をデジタル化してウェブ上でも発表しているようなことが書かれているのだが、どうやってもそこに行きつけない。どうなっているのだろうか。


 

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