蘊蓄(うんちく)について

「DVDが文字化けする」という報告を人づてに聞いてすぐに思ったのはコード体系のことだ。実際はブラウザーがシフトJISに対応するようにすれば済む話なのだが、世の中は12年で主流のコード体系がすっかり入れ替わって若い人は古いコード体系など知らなくなってしまったのかもしれない。
そうなるとコード体系に付いての記事も今後のために必要かも知れない、とそこまで考えて笑ってしまったのだが、私は知識をすぐに蘊蓄化する癖がある。言ってみれば蘊蓄製造機か、寅さんの台詞みたいだな。済みません、スルーしてください。
「蘊蓄」というのは「人生を豊かにしないガラクタ知識」で、それは他人に話すことで蘊蓄として完成する。コロナで誰にも会えない生活で蘊蓄がどんどん貯まるのに排出できないこのつらさ、分かってくれる人いるかな。
いやいないだろうな。

たとえば、子供と一緒に「サウンドオブミュージック」を何十回も見ているうちにどんどん蘊蓄が貯まるわけで、今もしあの映画を見たら5分に1回ぐらい蘊蓄が出てくる。迷惑がられるからできるだけ静かにしているのだが。
でも、一つだけ言わせてもらうと、最後に近いシーンで民謡フェスティバルにトラップファミリーが出演するが、あの野外舞台はFelsenreitschule(岩の馬術学校)という名前がついていて、フルトベングラーがあそこでザルツブルク音楽祭の「ドンジョバンニ」を振ったのだ。私はそれの記録映画を見ている。
どうです?全然人生が豊かにならないでしょう。こういう話をして相手がどう反応していいか困惑するところを見て楽しんでいるんだから人が悪いと自分で思う。
ただ蘊蓄を披露するだけではつまらないので、2回に1回はダジャレにしてしまう。
たとえば、
「アメリカ大統領選挙のときの最強の大統領副大統領候補コンビって知ってる?」
「知らない(知るわけないでしょ)」
「1980年の民主党候補。大統領候補カーター、副大統領候補モンデール。(共和党候補はレーガン、ブッシュ)」
「どうして」
「どうしてって、カーター、モンデールだよ。すごくない?」
「ちっともすごくない」
こんなことを言われたら、人によってはもっと困惑するだろう。

誰も覚えていない40年前のガラクタ情報をずっと覚えていることで熟成させ蘊蓄に昇華させるわけだが、どうも自分にはガラクタ情報を選別して記憶する蘊蓄中枢があると思えてならない。おかげで、70年以上生きているのにガラクタ情報ばかりが頭に残っている。
繰り返しになるが、こういうどうでもいい話ができないのはつらい。

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カテゴリー: 雑文

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