琉球方言ではときどき不可解に思えるような音韻変化が起きることがある。それを「音声学的に不自然」と考えたり、中間段階を設定して変化を漸進的なものだったと想定することが散見される。
多くの場合、「音声学的に不自然」と感じるのは単に感覚的なもので、他言語や国内の他の方言で似た例を見つけるのは難しくないし、調音音声学で説明がつくこともほとんどである。
沖縄方言で形容詞のsan語尾とhan語尾が混在していることに対して、「hanは*kanから来た。sanからではない。s > hの変化は音声学的に不自然だから*kan > hanと考えるのが妥当だ。」という主張をする人がいた。
この主張に対してはいくつかの点から反論できる。s > h の変化は調音音声学で説明ができるし、本土方言でも琉球方言でも観察できる変化である。そのことについては詳述しないが、沖縄本島の94地点で形容詞の語形の調査が約60年前に行われており、そのデータが最大の反証になることをここで述べたい。
それは、琉大方言クラブの機関誌である『琉球方言』第5号(1963)の「琉球方言形容詞言い切りの形について」(著者名なし)
である。南部で都市化が進み、全島でうちなーやまとぐちが使われるようになった今、同様の調査を行っても成果が得られないだろう。その意味からも非常に貴重な調査であるが、『琉球方言』が全部で14の大学等研究機関にしか所蔵されていないことからアクセスすることが比較的難しいものと言えるかもしれない。本当はこの雑誌の電子アーカイブ化をどこかですべきではないかとも思う。
さて、この論文の内容であるが、前述の通り沖縄本島の94地点(「全島くまなく調査することはできなかった」とあるが、ほとんど全域にわたっている)で、本土方言のク活用に対応する形容詞10とシク活用に対応する形容詞8の言い切りの形を調査している。結果をまとめた地図はあるが、数字とアルファベットの分類名をそのまま地図に載せているだけなので、視覚的に分布がよく見えるわけではない。
むしろ、地点ごとの調査結果を表としてまとめた巻末の資料のほうが有益である。地点名とともに国研方式の地点番号が記され、それに18の形容詞の言い切りの形が続く。地点番号から形容詞ごとの地図を作ることができるのでどこかの大学のゼミの課題で作って公表してくれないかと思う。
この資料をざっとながめただけで、san語尾とhan語尾が地理的に入り交じって分布していること、同じ地点で1人のインフォーマントが形容詞によってsan語尾を使ったり、han語尾を使ったりしていることが分かる。そしてkan語尾は全く存在していない。このことが指し示すのは「san語尾からhan語尾への変化は1個人のなかでも起きるし、どの地点が変化の中心ということではなくていろいろな地点で同時多発的に変化が起きている。沖縄本島ではkan語尾はもともとなかっただろう。」ということである。
私見ではこの論文があることだけでも雑誌『琉球方言』は大きな価値を持っている。今、ほとんど言及されることがないのが残念である。
もう一つの奇異であるように見られている音韻変化はmi > ni あるいは mj > nj である。これは琉球方言で多く見られる変化で、たとえば徳之島浅間方言で「見るな」は niNna となる。 m は両唇閉鎖音で、 n は舌と上あごの閉鎖なので、二つの調音に連続性はない。いわば跳躍的な変化になるが、これに抵抗を感じる研究者は中間的な音(mとnの場合はmとnの二重調音)を経由点として仮定したりした。
この音韻変化の詳細な地理的分布を見ることができるのが、『奄美徳之島のことば 分布から歴史へ』(東京大学言語学研究室柴田武学生有志編、1976、秋山書店)である。この書では「音韻分布」の章が設けられていて、いろいろな音韻変化の地理的分布を見ることができる。それは琉球方言の言語地図集ではあまり類のないものである。m > n には7枚の地図が当てられていて異なる語形で少しずつ異なる分布をしているのがわかる。
この地理的分布から跳躍的な変化を結論するのは難しい。かと言ってそうでもないとも言えない。地理的分布からはどちらとも断定できない。間違いなく言えるのは7つの項目で m > n の変化の地理的分布が似通っていることと、それぞれの項目で分布の中心が存在していることである。
調査の際に m>*x>n の x にあたるような中間的な発音を確認したという報告はなかった。もし仮に中間的な音を経由して m > n の変化が起きたとしてもそれは分布の中心で起きたことで、それからあとは m が n に置き換わった語形を取り入れる形で分布が広がっていったと考える。分布の中心で起きた変化が跳躍的なものであっても伝播が始まってしまえば同じことになる。
地理的な分布とは別に、mi > ni や mj > nj の変化は跳躍的なものであったと考えても全く問題ないと私は考えている。調音は確かに全く違うが、聴覚印象は非常に近くてむしろ連続的な違いと言ってもいいからである。
今の徳之島で同じような調査をしてもこれだけ鮮やかな分布は得られないと思われる。インフォーマントのなかで一番若い人で1919年生まれであり、もしご存命なら100歳を超えている。現在の60代の方が徳之島方言の特徴的な発音の区別を失っていることが多いことを考えれば、非常に貴重な資料だと言える。