うっかりして6月24日を何気なくやり過ごしてしまった。本来ならば「過ぎ越しの祭り」でもやるべきだったのである。今まで一度もやったことはないけど。
13年前のこの日、私は生死の境をさまよった。小麦アレルギーによるアナフィラキシーでショック症状になり、意識を失ったのだ。簡単に言うと体中にじんましんができて血管が拡張し(体の内部の内臓などの血管も拡張したらしい)、血圧が急に下がって脳に酸素が送り込まれなくなった。脳は猛烈に酸素を消費する器官なので、酸素が来なければあっという間に脳死になってしまう。そうなる手前のところまで行ったので、ある意味臨死体験だった。
幸い、倒れたのが大学の2階の廊下だった。学生の通行の一番多い時間帯に廊下で突っ伏していたのだからすぐに発見されて救急車で大学病院に搬送されることになった。救急車内のことはかなり記憶があるので、そのときにはかなり症状が軽くなっていたようだ。救急隊員は心得たもので、すぐに太ももの付け根にアドレナリンの注射を打ってくれた。救急隊員にとってはアナフィラキシーは珍しいものではないらしい。じんましんが残っていたので、すぐに見当がついたのだろう。
お医者さんは脳梗塞や心筋梗塞はよく見るけれど、小麦アナフィラキシーなんて初めて聞いたというのが普通らしい。あるいは知識としては知っているが、経験者を見るのは初めてという人にもあとでお目にかかった。呼吸器内科の先生だったが。
K先生は救急車に同乗してくれて、救急病棟まで付き添ってくださった。救急病棟のベッドに入った私にK先生が深刻な表情で言ったのは、「だじゃれを言ってください」
確かに、脳機能が損なわれていたらだじゃれも言えない。私の年齢のこともあって脳梗塞を心配されていた。
とっさに
「廊下で倒れたのはローカ現象でしょうか」と答えた。
K先生はすぐに学部長に、「だじゃれを言ったが、キレが悪かった」
と報告したらしい。
しばらくして、評議員のT先生が事務職員を伴って現れた。
「私がヨイヨイになってないか偵察に来たんでしょう」と言ったら、ひどく狼狽していた。図星だったと思うが、年長者をいじめてはいけない。あとで反省した。
筑波で大学生をしている娘のところに向かっていたカミさんは新宿に向かう特急から引き返して飛んできた。病院のベッドに入っているだけで、病人になってしまう。さぞかし病人のように見えたのではないか。
救急病棟は大部屋で夜になっても患者が運び込まれたりする。朝になるとどこかの家族がお見舞いにやってきて「おじいちゃんよかったね」と言っていたりする。落ち着いて寝ていられる場所ではない。
一時的にショック症状になっただけで後遺症もないので一泊しただけで退院することになった。
帰宅してからいろいろなところにメールを出したが、教授会のメーリングリストに送ったのもその一つだった。
人文学部教員の皆様
一昨日新棟の廊下で昏倒した澤木です。
講座や学部の皆様の処置よろしきを得て、最速で救命救急病棟に運ばれ無事一命をとり止めることができました。おかげさまで昨日退院し、前にも増して元気な状態です。
正確な診断は血液検査の結果が出るのを待たなければなりませんが、とりあえずの医者の見立ては「小麦粉によるアナフィラキシー」です。
簡単に言えば「激しいアレルギー症状」ということになります。後遺症のある病気ではありません。軽いアレルギー症状が出ているのに無理をして歩いたことがアナフィラキシーを誘発したようです。
病院に搬送されたときは血圧が70台まで落ちて危険な状態でしたが、1時間したころには大体普段と同じ元気な私を取り戻していたつもりです。
倒れているところをお見せして衝撃を与えてしまったかもしれませんし、入院したことでご迷惑もおかけしました。お詫び申し上げます。
以上、お詫びとご報告まで。
教授会は恐ろしいところなので、元気であることをアピールしないととんでもない噂がひろがりかねない。脳梗塞を疑われていたとしたらなおさらだ。
あれから13年になるが、幸いなことにアナフィラキシーの再発はない。家での食事はカミさんが細心の注意を払って小麦を含む食材を排除している。うどんもそうめんもパスタもだめなのだが、最近はアレルギー持ちのための米で作ったパスタがある。外食も和食だったり麺類以外の中華やタイ料理だったら心配はあまりない。
今までずっと無事に過ごせているのはカミさんのおかげだが、私のために食べたいものを我慢させているとしたら申し訳ないことだ。
13年前のあのとき、九死に一生を得たことは間違いない。拾った命だからいつ終わりを迎えても平気だと言いたいところだが、まだあとしばらく元気でいたいと思っている。