小学校に上がる前に中学校の教室で授業を聞いていたことがある。
思わせぶりなことを書いてしまった。種明かしをすると、9歳上の兄が登校するのに愛犬と一緒にくっついて行って、そのまま教室の隅っこでおとなしくしていたというだけの話だ。
今考えると不思議な話で、幼稚園には行っていたので、幼稚園が休みだけれど中学は休みでない日に行ったのだろうか。今と違ってのんびりした時代(戦争が終わって10年ぐらい)だったとは言え、全く場違いな幼児が教室に入ることがよく許されたものだ。
一つだけ印象に残っているのは英語の先生(だったらしい)が奇妙きてれつな訛りの日本語を話していたことだ。当時は英語ができるようになると日本語がおかしくなるという迷信があったらしく、その先生はわざわざ変な日本語をしゃべっていたらしい。
今振り返ってみて面白いと思うのは、未就学児でも「変な日本語」は分かるということだ。
娘が4歳になる前にひらがなを教えた。それも全部まとめて教えたのではなく、何人かのお友達の名前をかなで書いてみせるところから始めた。濁点や半濁点はわざと教えないでいた。すると、ある日娘が自分から言い出した
「『た』に点々をつけると『だ』なんだよね」
なんだかとても得意そうだ。
「ふうん、よく知ってるね。それじゃ『て』に点々をつけるとどうなる?」(文字の「て」は教えていなかったかもしれない)
「『で』」
「そうだね。それじゃ『か』に点々をつけたら?」
「『が』」
こんな調子でいくつか聞いてみた。全部正解した。そこで用意していたとっておきの質問をした。
「それじゃ『は』に点々をつけたら?」
ちょっと考えて「『あ』」と答えた。
これこそが待っていた答えだったので、「そうだね、よく考えたね。でもね、それは『ば』なんだよ」と答えた。
種明かしをするとこういうことだ。
「点々がついたかな」と「ついていないかな」の違いは子音が有声か無声かだ。「か」の子音を有声にすると「が」になる。ところが、「は行」のかなだけはその法則に従わない。「は行」の子音が時代の経過で変化したためにそうなった。我々は学校でかなを習ったときにこのような音声学的な説明はしてもらっていない。個々の発音とかなの対応を教わっただけである。
ところが、娘は自分の感覚で「有声/無声」の対立を見つけ出してそれをすべての「かな」に当てはめようとした。「は行」の文字だけはそれではうまく行かない。濁点のあるなしの関係が崩れたのは歴史的な経緯によるのだが、そんなことは子供は知らない。そこでhaのhを有声にしたつもりで、aと答えた。もちろん、あくまでも感覚にもとづいた操作をしただけで、「有声」と言語化するのはそれを見ていた大人の解釈だが。
子供は偏見も常識もない。だから自分の感覚だけで世界を認識しようとする。「有声/無声」を感覚として理解したのはすごいことだと思った。大学生にこの対立を理解させようとすると苦労することがあるのを知っているとなおさらである。
自分の娘が天才的な音声学者の素質があったと主張したいわけではない。国研の所長だった野元菊雄さんも自分の子供に同じことを試みて「『は』に点々をつけたら [ɦa](ɦはhの有声音)」という回答を得たそうである。「有声/無声」を感覚的に捉える能力は多くの子供が持っているものではないか。
私が思っているのは、教育することで子供が本来持っている鋭い感覚を奪っているのではないかということだ。大学で教育らしきことをしていた人間が教育有害論を唱えるのはおかしいが、教育にはそういう面もある。大人ができるのは子供がそういう感覚を保てるように注意深く見守ることぐらいである。
大事だと思うのは、小さいときに音声学の初歩を教えることである。濁音と清音の違いを感覚と結びつけて教えるだけでいい。そのことによって、音声と感覚の関係に注意が向けられるはずである。人体の働きと発音の関係も概略的に教えたい。音声学を知っていれば日本語でも外国語でも発音を客観的に捉えられるので、メリットが大きい。
小学生に発音記号の読み方を教えたことがあるが、大学生よりも呑み込みがよかった。いろいろな知識が垢のようについていないまっさらな状態だからだろう。
文部大臣も務めた永井道雄さんは戦前の東京高等師範付属中学校(今の筑波大付属高校)で英語を教わったが、そのときの先生は発音記号でテキストを書き換えて教えたという。当時の先端的な教育とは言え80年以上あとの現代日本よりよほど進んでいる。現代の子供向け英和辞典はかなで英語の発音を表していたりするのだから、現代のほうがずっと後退したと言うべきなのだろう。