今日7月14日はフランスの革命記念日で、同時に故柴田武先生の誕生日でもある。
「大正7年7月14日が私の誕生日なんだ。フランスの革命記念日で全部7に関係がある数字。」とうれしそうにおっしゃっていたので、確実に私の頭の中に刻み込まれた。ということは、今日は先生の103回目の誕生日だったのだ。
ちょっと前までこの日は「パリ祭」と日本で呼ばれていた。同名の映画があったからなのだが、もちろん日本以外でこんな呼び方はしない。フランスでは単に「7月14日」(Le Quatorze Juillet)と言うだけだ。
今から50年前フランスは憧れの的だった。パリも「花の都パリ」とわざわざ枕詞をつけて呼ぶほどだ。当時はフランス映画が全盛で通俗的な映画も芸術的な映画も日本に入ってきてヒットもした。若い人でもアラン・ドロンやジャンポール・ベルモンドの名前なら聞いたことがあるかもしれない。
フランス文学の翻訳出版も盛んで、東京のはずれの小さな本屋にもサルトル全集が並んでいたりした。劇団四季だって、今のミュージカル路線に行く前はサルトルやジャン・ジロドゥの翻訳劇を上演していたのだ。
音楽でもシャンソンはアメリカのポップスほどではなくてもかなり広範囲のファンがいたし、シルヴィ・バルタンやミシェル・ポルナレフ(ちょっと後)は大ヒットを飛ばしていた。
そういうわけで、フランス文化はおしゃれで芸術的なものとして憧れの対象だった。憧れの裏返しで劣等感すら持っていた人もいたかもしれない。
赤塚不二夫の漫画にイヤミというフランスかぶれの鼻持ちならない人物(「ミーはおフランスに行ったんでざんす」)が出てくるのも、世の中に充満していたフランスに対する劣等感の表れかもしれない。フランスの革命記念日をわざわざ「パリ祭」と戦前の映画の題名で呼んでいたのもそういう文脈で捉えないと理解ができないだろう。
ところがここ2,30年フランス文化は輝きを失ってしまった。かつては人気言語だったのに大学でフランス語を第二外国語として選ぶ学生は多くないらしい。日本人はフランスに対する関心をかつてほど持っていない。
「パリ祭」と言っても若い人は何のことか分からないだろう。でも、50年前の日本人が持っていた関心を半分でも取り戻してほしい。今でもフランスには面白いものがいくらでもあり、フランス語も学ぶに足る言語なのだから。