ベラルーシとポーランド

ベラルーシのオリンピック選手が亡命を希望したらすぐにポーランドが受け入れを表明した。隣国だからというのもあるが、それだけではない因縁がこの二つの国にある。
大戦前のポーランドは東側に大きくせり出していて、現在リトアニアの首都であるビリニュスもウクライナのリヴィウ(ロシア語ではリヴォフ、ドイツ語ではレンベルク)もポーランドの領土だった。現在のベラルーシの西部もかなりの程度ポーランドに取り込まれていた。おそらく、ベラルーシの選手の言葉はポーランド人が聞いて理解ができる程度にポーランド語に似ているのだろうと思われる。ベラルーシ人はポーランドで問題なく社会生活が営めるはずだ。無事ポーランドに亡命したあとの報道で、ベラルーシ選手の夫がブレスト(ブレストリトフスク条約のブレスト)出身でポーランド語に堪能であることも決め手になったとある。
ベラルーシとポーランドは何度も国境の移動を経験しているのだが、どうしてそんなことになったかというとそこには歴史的な経緯がある。
第一次大戦前はポーランドはロシア領だった。したがって、ベラルーシもポーランドも当時は同じロシア領ということになる。
第一次大戦時、1917年にロシアでは革命が起き、ソ連が成立するがドイツに攻め込まれ国内は混乱が続いたため、ソ連は1918年ブレストリトフスク条約を結んで単独講和する。これは、ソ連がドイツ帝国に大幅に領土を割譲する内容だった。これで落着と思いきや今度は1919年からポーランドとソ連のあいだで戦争が勃発し、1920年に講和が成立するまで続く。この結果として第二次世界大戦までのポーランドとソ連との間の国境が確定する。
 戦間期のヨーロッパの国境を調べるときにいつも参照しているのがJustus Perthes Taschenatlas Der Ganzen Welt(ユストゥス・ペルトのポケット世界地図帳 1929年刊)である。50年前本郷の古本屋で買ったと記憶しているが、あのころの本郷や神田の古本屋では第二次世界大戦前に出た本が普通に買えたのだった。そのころに買ったひげ文字のレクラム文庫を今も何冊か持っている。この地図帳は歴史年表の地図よりも詳しいので中規模の都市がどの国に所属していたか知りたいときに便利である。都市名がドイツ語(例 ビリニュスがWilnaとなる)なのが玉にきずだが。
現在のポーランドとベラルーシの国境は第二次世界大戦の結果として作られたポーランドとソ連の国境を引き継いでいる。ドイツとポーランドの国境はオーデル川ナイセ川となって、ポーランドは西側に領土を得たが、東側は大幅にソ連に譲ることになり、全体として西側に移動することになった。リトアニア、ベラルーシ、ウクライナのそれぞれ一部はポーランドがソ連に譲った形だがこれらはみなソ連内の共和国として存在していた。
このようにポーランドとベラルーシの間の国境は何度も移動している。
1991年、ソ連は消滅しベラルーシが国家として成立した。
私自身は20世紀、特に戦間期の東部ヨーロッパとドイツの歴史に興味があるのでベラルーシの選手がポーランドに亡命したと聞くとつい歴史を調べてしまう。国境が動いたために、戦争の前と後で人は同じなのに国籍が変わるのがヨーロッパだ。ポーランドはベラルーシ選手を、もし歴史が違っていれば自国民だったかもしれない人と見ていたのか。

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カテゴリー: 雑文

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