夏目踊り

井之川という集落が徳之島にある。初代朝潮太郎の出身地である。そのこともあって、ここの人は個性の強い人が多いと徳之島では思われているらしい。人口は2015年ごろの統計で433人。決して大きな集落ではない。徳之島の大動脈である一周道路と海の間の広いとは言えない土地にひしめき合うようにして家が建っている。
ここで毎年夏に一晩中踊り明かす催しがあるという。奄美群島のローカル紙である南海日日新聞は「夏目踊り」と書くが、それで正しいのかよく分からない。2015年の徳之島プチ移住のおり、Fさんが案内してくださるというのでお言葉に甘えることにした。
8月の22日、浅間の借家で待っているとFさんが仕事(家具屋さん)で使っている軽トラで迎えに来た。20分ほど走ると井之川に着く。午後7時ごろだっただろうか。ちょうど日没の時間だが、まだ十分に明るい。ただでさえ狭い道(でもメインストリート)の両側にびっしりと車が止まっている。島外と島じゅうに散らばっている井之川出身者がこの日はみんなやってくる。
やっとのことで駐車できる隙間を見つけて車を下りると、ぽつぽつと雨粒が体に当たる。台風が近づいているのだ。本降りになったら厄介だなと思っていたが、結局私たちが井之川にいた間、雨はひどくならなかった。
Fさんが「井之川の人は家族で浜に下りて、かまどを作って火をたくのです」と浜辺に案内してくれた。浜下り(はまおり)の行事はもう終わっていて人もまばらだったが、そこかしこにくぼみが作ってあって、火をたいた形跡があった。「かまど」とか「火」と言うと薪をくべるような大がかりなものを想像していたが、東京で苧殻(おがら)を迎え火で燃やすようなものだった。
集落に戻ると川沿いの道にぞろぞろと若い人たちが立っている。ゆかたを着ている女の子もいる。集落の縁者だけでなく、関係のない(島の人は何代かさかのぼればみんなどこかでつながっているので関係がないとも言えない)島内、島外の人たちが夏の間の数少ない娯楽を求めてやってきているのだ。
「これから踊るやつはいるか」と大きな声を出している男性がいた。隣には三味線(ニシキヘビの皮を張ってあるが、沖縄の三線とは微妙に違う)を持った人、柄の付いた太鼓を持っている人が控えている。
そのために来たのだから踊りに加わらない理由はない。何人か集まったところで踊りが始まった。声をかけていた男性がリーダーで、「次は○○」と曲名を口に出してから歌い始める。三味線と太鼓はリーダーのすぐ後ろについて動き出す。テンポの速い曲だ。
リーダーは歌い踊りながら先頭に立って集団を導いていく。井之川の家の敷地は浅間のようには広くない。家々の庭に次々に侵入し渦巻きのようになってぐるぐると踊る。踊っているうちに新しい人が加わって集団が大きくなる。家の人は踊りの集団が来るのを待っていて、踊る人のズボンのベルトにタオルを差してくれる。アイスバーを用意して待っている人もいた。リーダーは集落の一軒一軒の位置だけでなく、どこに入り口があるかなど構造も知悉している。遠くから別の集団の三味線も聞こえてくる。この狭い集落に三つのグループができていたらしい。当然、他のグループと鉢合わせをすることもおきる。蒸し暑さはずっと続いているので、30分も踊っていると汗だらけになるが、狂熱のなかに身をおいている感じにはなる。狭いところで大勢(といっても1グループ10人ぐらいか)が踊るので満員電車のような混み具合になるのも集団催眠的な感覚を助長する。
しばらく踊っているうちに疲れてきたので離脱することにする。ジーパンにタオルが何枚も挟まっている。このタオルは翌日からありがたく使わせていただいた。渇きを癒やすアイスバーもなぜか手にある。
ほんの30分しか踊っていないのにこんなに疲れるんだから、一晩中踊るリーダーはスーパーマンかと思ったが、あとで自分がいた集団を見たら、リーダーが交代していた。交代で休まなければとても持たない。しばらく、見るほうに専念していたが、日付が変わったころ睡魔が襲ってきた。徳之島に来てから規則正しい生活を続けていたし、このころは朝早く起きて涼しい時間を利用する戦略をとっていたので、夜更かしはこたえるのだった。Fさんを探して連れて帰ってもらうことにした。
それにしても井之川の住民は夜明かししてずっと接待しているのだろうか。はやばやと明かりを消した家もあったようだが、でもあの騒ぎではとても眠れないだろう。大変なことだと思った。

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