私が出会った教養人

もう辞めることが決まっている首相が去年就任早々に日本学術会議の新会員の任命を拒否するという事件が起きた。そのことで静岡県知事が「首相は教養がない」と発言したところ「学歴差別だ」という非難の声があがった。
私は何でも差別のレッテルを貼れば相手を攻撃できるとする世の中の風潮はおかしいと思うし、「教養がない」を「学歴差別」に結びつけるのも強引なこじつけだと思う。また、任命問題での首相の振る舞いがまさに教養のなさを露呈したものだったのも間違いないことだと思う。
そこで教養とは何かを書いてみようとしたのだが、これがとても具合が悪い。だって書けば書くほど、「じゃあお前は教養があるのか」という話になってしまう。
そこで、正面切って教養について語るかわりに私がこれまでお目にかかった教養豊かな人の話をすることにしよう。

まず真っ先に思い浮かぶのは加藤周一さんだ。もう名前を見ても分からない人が多いかもしれない。亡くなったのは最近だが、活発に活動していたのは30年ぐらい前までだったろうか。もともとは血液学を研究していた医者だが、大学生だった戦時中マチネポエティクという現代詩の運動に加わった文学者でもあった。フランスに(医学のために)留学をして帰国したあたりから評論活動を活発にして著書は非常に多い。2008年まで朝日新聞で夕陽妄語というコラムを月1回?書いていた。
私はこのコラムは読むことにしていたし、著書も何冊か読んでいたので恐るべき教養人という予備知識は持っていた。
実際にお顔を拝見したのは一回だけ、ある編集会議の席上だった。大きな机をはさんで向こう側に座っていた。その風貌からただちに連想したのはスターウォーズに出てくる知恵深きヨーダだった。
あのときから自分も一度でいいからヨーダと呼ばれてみたいと思うのだが、小ネタおじさんぐらいが関の山か。

大学に入って、いくつかゼミを選んだなかの一つが由良君美(きみよし)さんのものだった。題目は「翻訳」でテキストがグロータースさんの『誤訳』だった。グロータースさんが誤訳としているものが、実はそうではない、あるいは第三の読解がありうるということを『誤訳』中の文例をひとつひとつ取り上げて読み解いていくというものだった。
文例を取り上げるだけだったら単なるあら探しでしかないが、毎回その背景となっている作品や同じ著者の文章を参考資料として提示するのだ。今思い出してみるとあれはゼミと言えるものだったのか疑問ではある。学生は教授と同じ水準で議論することなどできない。バックグラウンドとして持っている知識がかけ離れている。ほとんど由良先生の独演会のようなものだった。
高校までの人生で由良さんのような教養が着物を着て歩いているような人に出会ったことがないので、このゼミはちょっとしたショックだった。
由良さんはいつもパイプをくわえていた。今とは違って喫煙に対する社会の制約がゆるい時代だった。風貌はというと、大学教授には珍しいような美男子だった。女子学生にはさぞかし人気があったことだろう。残念なことに私と由良さんの接点はそのゼミだけだった。
由良さんは1990年に世を去った。その十数年後に弟子の四方田犬彦が由良さんを描いた『先生と私』を発表した。私はむさぼるようにそれを読んだが、あれほどヨーロッパのことを知っていた由良さんが留学した経験がないことを知って驚いた。

私は1976年に国立国語研究所の研究員に採用された。研究室(変化一研)には週に1日グロータースさんが来て地図を描いていた。
グロータースさんのことは『誤訳』を通じて知っていた。何度も繰り返し読んだので、お会いする前から何年も前からの知り合いのように感じていた。
実際にその人となりに毎週接してみると、言葉のはしばしにギリシアラテンの教養がにじみでるのだった。母語であるオランダ語とフランス語のほかに中国語ドイツ語英語日本語を使いこなし、言語学者としてそれらの言葉を客観的にとらえる観点もお持ちだった。
二〇世紀半ばまでのヨーロッパの知識人はラテン語やギリシア語の学習を通して論理的な思考を身につけたのだが、グロータースさんはおそらくその最後の世代だったようである。神学校ではラテン語で哲学の議論をされていたということで、恐れ入るばかりである。
日本では明治時代の初めごろまでの知識人は漢文の学習で学問の基礎を身につけたが、日本の漢文に相当するのがヨーロッパでのギリシア語とラテン語ということになる。
グロータースさんは古き良きヨーロッパの教養を体現していただけでなく、世の中のいろいろなものを偏見なく愛していた。一つの例を挙げれば落語である。世間の評判とは関係なく、自分がいいと思ったものはいいという確固たる基準をお持ちだった。

加藤周一、由良君美、グロータースに共通するのは存在が謎めいていることだ。かつてフランスのミッテラン大統領は「スフィンクス」と呼ばれていた。底知れない知恵の深さが謎めいているという意味らしい。この三人にも通じるものを感じる。
グロータースさんは言語学者としての部分は明快に見えるのだが、そのバックグラウンドは神秘的と言っていいくらい深い。
あの首相は教養ある人に接して恐れを感じたことがないのだろう。だから、専門家を平然と無視することができたし、非論理的な決定をためらいなく行った。

私はヨーダにはなれなかったが、あの三人の風貌を脳裏に焼き付けることはできた。それは一生の幸運だったと今にして思う。

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カテゴリー: 雑文

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