日本語の原郷は遼河付近? 2

ドイツのマックスプランク研究所も加わった国際研究チームが日本語の原郷は9000年前の中国東北部西遼河付近の農耕民にあり、3000年前に日本(北九州)に渡って日本語となったとの説をNatureに発表したという報道(11月14日毎日新聞)があった。
その記事によると3000年前に日本に住んでいた人のことばは駆逐されてアイヌ語として残った。そして宮古島の長墓遺跡の人骨の分析などの結果、11世紀に農耕と日本語をもって本土日本人が移住し、それ以前の言語を駆逐したということになっている。
そそっかしい人(私もそのなかに含まれる)がこの記事を読むとNatureの論文にそんなことが書いてあるのだと思ってしまう。
ところが論文を入手して読んでみたら、印象が全く違う。online contentはここ
論文の主旨はチュルク系言語、モンゴル諸語、ツングース諸語、日本語朝鮮語のもとになったトランスユーラシア語の故地(homeland)が中国東北部の西遼河周辺にあり、9000年前にそこに暮らしていたキビ、アワ(millet)を栽培する農耕民が話していた言語だったとするものでスケールの大きな話である。日本語や朝鮮語あるいは琉球方言の話題はこの論文のなかの一部分であって、それが中心になっているわけではない。
1万年近く前の言語について語るのはほとんど与太話のようなものだと私は思う。それくらい昔にさかのぼればチュルク系言語やツングース諸語が音韻対応していると言われても正面切って否定はできないが、積極的に支持する気にもなれない。
そこでこの論文が持ち出すのは言語学と遺伝学(ゲノムの研究)と考古学の「三角測量」である。異なる地点からの角度を測ることによって正確な位置を知るのと同じように上記の3つの学問の裏付けから確度の高い結論を導こうというわけである。そのための資料として、中国東北部を中心とした東アジア各地の考古学的資料や人骨のゲノムデータおよび現代人のゲノムデータが使われている。
日本語の話題がないわけではないが、「アイヌ語」はいくらさがしても出てこない。毎日新聞の記事をもう一度読んでみると「論文の共著者のマーク・ハドソン博士」の話としてアイヌ語のことや琉球方言のことが書かれている。記事をよく読めばNatureの論文とは別の話だと分かるのだが、論文の紹介としてはミスリーディングだと思う。ハドソンさんはNature論文の主張から乖離したことを言っているのだから。
Nature論文の補足資料(online contentにリンクが貼ってある)では「Japonicは紀元前150年、プラスマイナス175年の幅で」となっている。本土方言と琉球方言の分岐のことを言っているのだが、「11世紀に日本語が琉球のもともとの言語を駆逐した」というハドソンさんの主張とは全く違う。
それから「宮古島の長墓遺跡の人骨の分析などから」と人骨のDNAを根拠に日本語が琉球列島に入った年代を推定したように書いているのだが、これも変である。長墓遺跡はNatureでは青銅器時代のものとしているので、11世紀からはるか昔で、根拠たり得ない。
ということで、毎日新聞の記事はNature論文の紹介としては非常に不適当だと言える。原論文をちゃんと読み込んでいないで記事を書いたのではないかと疑ってしまう。

Nature論文の内容に戻るが日本語と朝鮮語が同系だとしているのは、マーティンやホイットマンの研究を根拠にしている。日本語の起源について日本では長い間議論が行われているが、日本語と朝鮮語の間で確実な音韻対応が存在しないとする説が支配的である。そこから出発したらNature論文の議論は成立しない。
トランスユーラシア語に由来する諸言語間の音韻対応についてはやはり補足資料のなかで語例を挙げて詳細に述べられている。それが厳密な意味で音韻対応と言えるかは異論が大いにあるだろう。なにしろ、9000年前の話である。
ゲノムの話題では興味深いことが二つあった。一つは朝鮮半島の3000年前の遺跡から出土した人骨のゲノムには縄文人の要素があったが、現代の朝鮮半島の人にはそれがないこと。もう一つは宮古の長墓遺跡の人骨のゲノムは完全に縄文人の要素だけ(南方の要素がゼロ)だったことだ。後者についてはこの論文で「琉球の古代人は台湾から来たと思われていたが、日本本土から南下してきたことをゲノムは物語っている」とわざわざ言及している。「長墓遺跡」とは何を指すのか実は私はよく知らないのだが。
Nature論文の内容についてこれ以上書くとボロが出そうなのでやめておくが、もっとよく知りたい方はonline contentを読んでいただきたい。雑誌版と本文は同じで、雑誌にはない補足資料のリンクがある。
論文を読んだ印象を一言で言えば「自然科学の論文と同じスタイル」である。根拠となった資料を公開して読者がアクセスできるようにしたり、膨大なデータを処理するためにデータベースを使い、「これこれの条件で検索した」と明示している。また、言語の分岐年代を推定するのにモンテカルロ法という数学の一手法を使ったりしている。Natureが自然科学の学術雑誌なのだから当然のことではある。
日本語や琉球方言に関わることでつっこみたい点はいくらでもあるが、それは置いておいて、一つだけ疑問を述べさせていただく。
言語とその言語を使っていた社会集団そして文化が一致していることを前提として論を進めているが、それは正しいのだろうか。
縄文文化を例にとっても、非常に長い期間日本列島で行われた縄文文化の担い手が均一だったとはとても思えない。ゲノムも言語もである。もちろん縄文とひとくくりにされる文化も地域によって異なっていた。一方で青森県の三内丸山遺跡から糸魚川のヒスイが出土することからも広い地域で物の交流があったことも分かっている。縄文文化を共有しつつも異なる言語を話す複数の集団がいたと考えることも可能だし、むしろ自然なのではないか。

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カテゴリー: 雑文

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