ウイグルと五輪

オリンピックが始まったのだが、今までと違って身を入れて見る気がしない。選手には申し訳ないが。
去年の東京オリンピック、テニスの彭帥選手問題とIOCの金儲け体質が露骨に感じられるようになったこと、オリンピックの陰でロシアのウクライナ侵攻が現実味を帯びていること、開催国中国でチベット、香港、ウイグルと大規模な人権侵害が起きていることなどオリンピックに対する関心を減退させる要素がそろい過ぎている。
開催国中国は国威を発揚したいのだろうが、ウイグル問題一つをとっても中国の体制に好意を持つことはできない。中国共産党はチベットの仏教、ウイグルのイスラム教を恐れていると思われる。中国の歴史を見ると、王朝の末期には決まって宗教による動乱が起きている。今の体制が脅かされるとしたらそれは宗教によるものだろう。ウイグルではモスクが壊され、宗教指導者は捕らえられて行方が分からなくなっているという。学校では民族語を習う時間がなくなり、子供達は親から引き離されて中国語の方が流暢になったりしているらしい。
新彊ウイグル自治区にもとからいた住民は「ウイグル人」だけではなく、いろいろな少数民族がいて、ほとんどがイスラム教の信者である。彼らから宗教と言語を奪うのは「自分は何者か」というアイデンティティーと誇りを失わせることにもなる。ウイグルの女性には避妊手術が強制されているともいう。精神的にも生物学的にもウイグルの少数民族の抹殺を目指しているのだ。
ウイグルのことを考えると気分が重くなる。
2008年の北京オリンピックのときは世界中で聖火リレーが行われたが、抗議行動を行うチベット人とそれを阻止しようとする中国人との間でトラブルが発生した。それは長野市で聖火リレーが行われた日本でも同じだった。あのオリンピックから開催国以外では聖火リレーを行わなくなった。
オリンピックと国威発揚を結びつけるのは今に始まったことではない。あのベルリンオリンピックと同じ年の冬季五輪はヒトラーの別荘があるガルミッシュパルテンキルヘンが舞台だった。ヒトラーの権力の大きさを世界に見せつける意図があったのだろう。最初の東京オリンピックは日本の戦後の復興を世界に印象付けようという狙いがあった。中国は2度目のオリンピックで超大国としての中国を誇示したかったのだろう。
だが、今回の北京オリンピックは舞台裏がひどすぎる。平和を目指すのがオリンピックの理念であり、それが世界中から共感を寄せられるゆえんとなっていたはずだが、直前の東京オリンピック、今回の北京オリンピックとIOCはそんなことはお構いなしにただ金儲けのために開催した。選手たちには悪いがすっかり熱が冷めてしまった。

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カテゴリー: 雑文

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