松本地方の御柱2

前稿(「松本地方の御柱」)で述べた報告書が信州大学のリポジトリに入った。
「木遣り」研究報告書 これをクリックしていただくとダウンロードできる。
私はこのなかのほんの一部を書いたが、大部分は学部の学生たちが持てる能力の最大限を発揮した労作である。この報告書で松本地方の御柱、特に木遣りについてはかなりのことが分かるはずである。ただ、前稿で「中信で御柱を行うのは松本市のほかには筑北村と麻績村だけである。」という意味のことを書いたのは明らかな間違いで塩尻市でも御柱を行う神社があり、そのなかでも小野神社矢彦神社はこの報告書でも取り上げているのだった。
何はともあれ、いまや入手困難になっている出版物がこういう形で世の中に広く公開されるのはありがたいことである。
そして、今日(2022年4月18日)付けの「市民タイムス」紙(中信地方対象のローカル紙)で、千鹿頭神社の御柱の山出し里曳きが17日に行われたことが報じられていた。御柱立ては来年なので、諏訪大社とは異なり千鹿頭神社では2年かけて御柱を立てることになる。このことは『「木遣り」研究報告書』でも昭和7年4月5日の信濃毎日新聞の記事の内容として取り上げている。また、神田地区の担当する御柱が中山地区から伐り出されることも市民タイムスが報じているが、もともとは神田地区も中山村の一部であり、御柱行事を中山村全体で行っていた。したがって御柱を中山地区から伐り出すのは何の違和感もない。昭和18年に神田地区だけが松本市に吸収されたことにともなって御柱を神田地区だけで行うようになった。このことは『「木遣り」研究報告書』に私が書いたとおりである。

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