南鳥記

 突然だが、俳号を南鳥としようと思う。俳句は詠まないが俳号を先に作ることにしたのだ。形から入るというやつだ。南鳥と書いて「みなみどり」ではなく「なんちょう」と読む。南の鳥が南島を懐かしんで悲しげに鳴く。なんちょう詩情だ。
 違う。難聴だから南鳥としゃれてみただけだ。
 女子学生のソプラノで言う言葉が聞き取れなくなった。小さい教室でかぼそい声で「〇〇です」と名乗ってくれるのだが、名前が聞き取れなくて何度も聞き返す。失礼だが、聞き取れない。とても悲しくまた情けない。そのずっと前にカワラヒワという野鳥のさえずりが以前聞いて覚えていたのと違って聞こえたのに気がついていた。カワラヒワは東京でも見かけるありふれた鳥だが、鳴き声はとびきり美しい。ピリリリと高音で鳴く。メロディーはほとんどなく、高音の音色だけなのに私が知っている鳥のなかで一二を争う美しさだと思う。ところが、あるときからピリリリではなく、ビリリリかジリリリにしか聞こえなくなったのだ。カワラヒワの声は高音の倍音が強く昔はそちらの音しか聞こえていなかったのが、あるときから高音が聞こえなくなったために低音の倍音が耳に立つようになったのだろう。カワラヒワの鳴き声が分からないなんて人生の喜びの一部がなくなったような気になってしまう。
 難聴は高音域から始まるというごく普通のコースで始まったのだ。加齢による難聴で、これは大抵の人が避けることができないものだ。
 そして徳之島プチ移住(2015年)の直前にはお店のBGMが苦痛になった。特にピアノ曲のときにそうなのだが、和音が不協和に感じられるのだ。BGMに前衛音楽を流すはずはなく、こちらの耳が勝手に不協和音に変換しているだけのことだ。これは難聴一般に起きることではないらしいのだが、本人にとって苦痛であることは間違いない。不思議なのはコンサートホールの生演奏や上質の再生装置から聞こえてくる音にごうした不快感がないのだ。
 移住の最初の2ヶ月はiPadで音楽を楽しむことができていたのだが、移住が後半に入った頃からiPadから流れる音さえ苦痛になっていた。最後の1ヶ月に行きつけになったカフェのBGMが気にならなかったのはたぶん再生装置がよかったせいだ。
 難聴のもう一つの症状として耳鳴りがあったが、これは移住の全期間を通じてあったことだった。人混みのなかでざわざわとした音の中から人の声を聞き分けようとすると耳鳴りがひどくなるのだが、島では大勢の人がいる場所にはまず行かなかったし、普段はほとんど一人で暮らしていたので耳鳴りを意識することはなかった。実際は耳鳴りは四六時中していたので単に気にならなかっただけである。
 島にいる間に耳鳴りの原因を調べたら耳鳴りは脳で作られるとあった。耳がわずかにとらえた音を脳が増幅しようとして無理をする結果として耳鳴りが起きるらしいのだ。
 松本に帰ってからカミさんが探してくれた耳鼻咽喉科の医師にみてもらった。聴力検査をしたら8000ヘルツ以上の音は聞こえていないらしい。ガーン(ちょっと古いか)だ。通院して2年も経った頃、耳鳴りが軽くなったことを告げて治療は終了した。聴力の減退が止まったわけではなく、耳鳴りが全くないのでもない。不協和音はなくなったが、7年後の今はさらに難聴が進んでいる。
 ちょっと蛇足気味だが、難聴になってどんなことが起きるかについて書いてみよう。これから難聴を経験するであろう若い人の参考になるかもしれない。
 さきほどカワラヒワの鳴き声が記憶にあるそれと違って聞こえることを書いたが、やはりソプラノの鳥、奄美で初めて知ったアカヒゲの鳴き声はちゃんとわかったし、このブログのどこかにも書いたが美しさに感動もした。おそらく、アカヒゲの声はカワラヒワの1オクターブ下ぐらいの高さなのだろう。1オクターブ下だったら周波数は半分になる。カワラヒワが9000ヘルツだったとして、その半分の高さの音は私の耳でも十分聞き取れる高さになる。
 オーケストラでトライアングルが使われることがある。オーケストラがトゥッティでフォルティッシモで演奏していてもトライアングルの音は必ず聞こえるものだが、難聴を自覚するようになったあともオーケストラのトライアングルはちゃんと分かるのだ。これは考えてみれば不思議な話だ。カワラヒワはトライアングルより高い声なのだろうか。
 50代の中頃だったか、前から使っているオーディオ装置の音が瘦せているように感じられた。高級オーディオではなく全くの普及品だが、確かに前に聞いていた音とは違う。機械が経年劣化したと思い買い替えることまで考えた。今考えると「痩せた音」とは倍音が豊かでないということなので、私の耳が高い周波数の音をとらえそこねたためだった。オーディオ装置に問題があったとは考えにくい。
 特定の子音や母音の聞き取りに問題を感じるかと言うとそれはない。むしろ音の強弱が聞き取りやすさに関わるかもしれない。テレビを見ていて、ドラマのセリフは聞き取れないことが多いのだが、アナウンサーの声はほぼすべて分かる。ドラマに出てくる役者のセリフはささやき声になったり、怒鳴ったり、また一つのセンテンスのなかで声が大きくなったり小さくなったりする。アナウンサーは一定の強さの声でニュースを読む訓練を受けているし、一つ一つの音節を同じスピードで明確に発音する。
 普段の会話では声の立ち上がりがうまく聞き取れない。レジで会計をするときに「210円です」が「110円」に聞こえて「今日は安かったな。得をした。」と110円出すとレジの人に変な顔をされ、胡麻化そうとしたと疑われたのではないかとあとで気にしたりする。
 録音をするときにマニュアルで録音レベルを調整すると小さな音が拾えなかったり、録音レベルを最大にしてしまった結果、音が割れてしまったりする。人間の耳も音の大きさに合わせて感度を調整する機能があるのではないか。ところがそれまで無音だったときに急に音が出ると調整機能が間に合わなくなってしまうのだろう。本当はいきなり「210円です」ではなく、そのまえに「ええっと」とか「お会計は」とかのような意味のない言葉を入れてほしいのだ。「ああ」とか「うう」でもいい。
 加齢に伴ういろいろな症状のひとつとして難聴が生じているのだから、これは今後も治る見込みがない。それどころか年々ひどくなっていくに違いない。だったらこれからどんな新しい難聴の症状が出てくるかを観察して楽しむことにしてみたい。

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カテゴリー: 雑文

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