いつものことながらちょっと下らないがでもとても面白いと思っていることを書きたい。このブログを始めたときからいつか書きたいと思っていたことだ。
NHKのEテレで「びじゅチューン」という番組がある。5分程度の時間のなかで美術にちなんだアニメを1回見せ、短い解説のあとで同じアニメをもう1回見せる。解説者として登場する井上涼がアニメの絵も音楽も作っている。
例を挙げると「雪中のフォーメーション”山”」という回ではブリューゲルの「雪の狩人」を題材にしていた。絵のなかに「山」と読める形があることから、それを近景に描かれた狩人と猟犬の群れに送った暗号ではないかと考え、そこから妄想たくましくストーリーを作ってアニメにしている。
実は漢字の「山」の形は手元にある大判の複製画では確認できない。そう見えないこともない程度のものならある。実物を今まで3回見ているがそんなことは一度も気がつかなかった。出発点がそもそも妄想なのかも。
「人の真似する瓶」はマネの「フォリーベルジェールのバー」。絵のなかの女性の眼差しがうつろなので、人間ではなく瓶が人に化けているのだと考え、お店が忙しいので人間の店員がみんな出払ってしまい仕方なしに瓶が人間に化けてお手伝いをするというストーリーのアニメに仕上げている。
こんな具合によく知られた絵や建築、名刀や蒔絵などから妄想をふくらませてアニメにしているのだが、驚くべきはアニメも歌の作詞作曲も歌唱もすべて井上涼が一人でやっていることだ。アニメの絵はいかにもマンガ調で色は塗り絵だが、もとの作品の特徴をうまくとらえていて一見下手に見えるけれど実は並々ならぬ画力をうかがわせる。
歌は作品ごとに曲調が変わり、おどろおどろしい絵のときもコミカルな設定のときもその気分に合わせたメロディーなのだが、アニメの絵と同じで聞いたことがないようなヘタウマな歌唱である。音楽の才能もなかなかのものだ。一言で言えば脱力するようなアニメと音楽なのだが、絵も音楽も完成度が高い。
驚くことに(とまた言ってしまうが)井上涼はかなりのペースで何年にもわたって作品を作っている。1分半程度のアニメでも、原画の数は100枚以上必要なはずで、仕事のペースたるや大変なものである。本当に傑出した才能だと思う。視聴者は井上涼の才能を楽しみ、「そんな見方があるの?」「そこに目をつけるか?」と美術の見方に対する固定観念を破壊されることを楽しむのだ。
同じものを見ても全く違うものを受け取るのが人間で、他の人と同じように感じられないと不安になるかもしれない。でも、一人一人違うことがむしろ尊いのだと思わせてくれるのがこの番組だ。それにしても井上涼の感じ方は突出してユニークだとは思う。
でも、こんなふうに理屈をつけるのは大人で、子供は純粋にアニメとして楽しんでいるらしい。幼稚園児や小学生のファンが多いようだ。これがきっかけになって美術に親しむことになれば、井上涼のねらいは的中である。
本人いわく「美術を茶化していると怒る人がいる」そうだが、美術に「正しい鑑賞法」があると信じている人は不愉快に思うかもしれない。でも私は井上涼がどんな作品をどう料理するのか毎週楽しみにしているし、その楽しみをもっと多くの人に知ってもらいたいと思うのである。