1週間前のNHKニュース「おはよう日本」で、ウクライナのロシア語話者の葛藤を取り上げていた。
もともとロシア語の話者だった避難民の女性は「私たちを殺しに来た人たちの言葉は話したくない」とウクライナ語で話そうと努めている。NHK国際局ディレクターのウクライナ人カテリーナさんもロシア語から切り替えた一人だ。
親はロシア語話者だが、彼女はウクライナが独立した後で学校教育を受けたのでウクライナ語を普通に使える。でも、とっさのときにロシア語を口にしてしまうし、何よりロシア語は考える言葉、性格の一部になっている言葉だと言う。
それで思い出すのは2003年に学会で行ったラトビアの書店の風景だ。首都リガの中心部にあるおそらくは最大の書店で本棚の半分を占めるのはロシア語で書かれた本で、残りがラトビア語だった。ラトビアがソ連から独立してから10数年が経過していたが、そのときでも専門書や文学書はロシア語のものがなければ困る状態だったのだと想像した。外国文学もロシア語に翻訳したものであれば何でもあったはずだ。
あのときは「ラトビア語で書かれたチェスの本」を探していたのだが、結局その書店では見つからず古本屋で手に入れたと記憶する。ラトビアからはソ連時代にタリという選手が世界チャンピオンになっているくらいで、チェスが盛んだったはずだがチェスの情報もロシア語で手に入れていたのだろう。
ロシア語のチェスの文献の豊富さは私が実際に体験して知っている。ロシア語の小説を読もうとしても歯が立たない。そこで棋譜を見れば形勢が分かり、「ディフェンス」「オープニング」「勝利」「チェックメイト」など限られた単語を知っていれば70パーセントのことが理解できるチェスの本でロシア語に慣れようとした時期があった。ずいぶん昔のことだが、ロシア語のチェスの本をかなり集めている。本当にありとあらゆる種類のチェスの文献があるのに驚いたものだ。肝心のロシア語はまったく上達しなかったが。
チェスはほんの一例で、ロシア語はあらゆる専門分野で話者人口がはるかに少ないラトビア語を圧倒していたに違いない。ウクライナでも事情は似たようなものだったと推察する。ラトビア語に比べれば話者人口が10倍以上あるのでウクライナ語による出版はもうちょっと盛んかもしれないが、それでも専門的な本や文学書はロシア語が圧倒的なのだろう。ドストエフスキーやトルストイのウクライナ語訳もあるのだろうが、カテリーナさんはロシア語で読んだのだと思われる。大学で学んだときもロシア語の文献を頼りにすることが多かったろう。「ロシア語は考える言葉」と言ったのはそこを指している。
ロシア語話者はロシア人だというプーチンの思い込みによる侵略がウクライナ人のアイデンティティを強固にし、ロシア語話者をウクライナ語常用に追いやった。逆効果もいいところだ。