ばちらぬん

土曜日に与那国島を舞台にした「ばちらぬん」「ヨナグニ 旅立ちの島」を見た。どちらもミニシアターで上映されるような映画だ。ここ松本では在来の映画館(30年前は10館ぐらいあった)が絶滅していく過程でミニシアター系の映画を上映するNPOができてときどき私も利用している。今回もそのNPOが沖縄本土復帰50年を記念して沖縄関係の映画を上映するシリーズの一環となる。
「ばちらぬん」は与那国の言葉で「忘れない」を意味する。基本は与那国を舞台にしたドキュメンタリーなのだが、明らかに沖縄の田舎ではない都市化した町並みややさしい緑の落葉樹が出てくる場面がある。若い俳優が与那国の言葉をしゃべったりしてファンタジー仕立ての映画である。強烈な日光と穏やかな日差しで舞台は与那国と本土(京都近郊であることはあとで判明)にはっきりと区別できるが、本土シーンで川の中に青く塗った郵便ポストがあったりする。普通にはあり得ない行動やオブジェが次々に現れるが、その寓意をいちいち推測することを途中からあきらめてただ見るだけに集中することにした。
オープニングとエンディングで三線の男性が唄っていたのは「与那国口説」?だったが、これは八重山民謡にある旋律だと思った。映画の途中で女声で雨乞いの歌が流れるのだが、これは琉球音階ではない(律音階?)原初的なものを感じさせるメロディーでこちらに心をゆさぶられた。
上映時間は1時間強だったが、その後で監督の東盛あいかさんのトークショーがあった。東盛さんは与那国島出身24歳の女性だった。エンドロールには監督としてだけでなく、脚本、撮影、俳優そして与那国語指導、与那国語字幕にも名前を出していた。京都芸大の卒業制作として作ったこの映画がPFF(ぴあフィルムフェスティバル)のグランプリを取って全国上映されることになったそうだ。
最初は全編与那国で撮影するつもりがコロナの流行が始まって映画の構想が全く変わりファンタジー仕立てになった。与那国から京都に帰ったのが2020年の11月でそこから京都のシーンの撮影が始まった。2021年春の卒業には間に合って、同年のPFFに出品した。コロナがなければ全く違う映画になっていた。
トークショーのあとで次の映画の上映を待つときに受付に立っていた監督に「おばあさんの言葉は聞いて分かるのか」と質問をした。彼女は15歳の時に高校進学のため島を離れたがそのときは全く分からなかったそうだ。島の言葉を方言辞典などで勉強して、実際の発音をおばあさんに電話をかけて聞いたりして覚えたという。雨乞いの歌を唄っているのは30代の島出身のプロの歌手なのだそうだ。
東盛さんは監督として次にどんな映画を撮るのだろうか。「(与那国を)忘れない」と題でも言っているのだから、変わりゆく与那国をカメラから見つめていくのだろうか。京都芸大では俳優コースだったので俳優としても注目だ。
「ヨナグニ 旅立ちの島」はイタリア人の監督でフランス資本の映画だが、映画の中で外国語の字幕が出たり、外人が登場したりすることはなく、見た目は全く普通の日本の映画である。
15歳で島を離れる中学生達を主人公にした詩的なドキュメンタリーだ。小学生のするような「だるまさんがころんだ」を男女4人で遊んだりして本土の中学生より幼く見えるのだが、その彼らは高校進学で島を離れなければならない。島には中学までしかないのだ。
「ばちらむん」ほどファンタジー的要素は多くないのでそれではまるっきりドキュメンタリーかと言うとそうではない。
本筋と思われるものから離れたシーンに出演している長身の少女がとても個性的で心引かれた。特別に美形というのでないし、最初は男の子かと思ったぐらいなのだが、何とも言えない雰囲気がある。監督は本筋から離れていると分かっていても彼女のシーンを捨てることができなかったのだろうと思う。

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カテゴリー: 沖縄

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