日本の経済がうまく行かないのはDX(デジタルトランスフォーメーション)が遅れているからだということで政府が旗を振ってDXを進めようとしている。
だが、世の中にはデジタル化に背を向けているところが多い。そういうのを見ていると日本の大部分は永久にDXしないのではないかと思ってしまう。
DXから遠いところにあるのが一部の学校だ。最近の朝日の記事によれば学校のデジタル化が遅れているという。学校からのお便りも全部紙ベースだったりする。親はみんなスマホを持っているのだから同報メールでいいはずだが、「親との連絡手段ができるとそれを悪用する人が出てくる」ので教頭が禁止しているという。これは極端な例であってメールを使わないのは一般的ではないと信じたい。うちの孫の保育園では緊急の連絡、たとえば「雨が降っているので運動会を隣の小学校の体育館でする」などはメールで来る。これを保護者間の連絡網でするとなると大変だ。
指導要録は手書きと決まっていて、1字でも間違えたら最初から書き直すのだそうで、こんなことが積もり積もって教師の負担増になる。本当に21世紀の学校なのだろうか。私が教育を受けた60年前と全然変わっていないように見える。
デジタル化に反対するのは学校の管理職で、若い先生を中年の先生が抑圧するという構図が想像できてしまう。本当は一番コンピューターに親しんでほしいのが管理職なのだが、彼らは自分たちがよく知らないコンピューターを使うことにすると若い人に主導権を握られるのがいやなのだ。先生の負担を軽くして本来の職務である教育に専念できるようにするのが管理職の仕事のはずなのだが。
NHKの調査によれば全国で2800人教員が不足しているという。学生が教員採用試験を積極的に受けなかったり、いろいろな事情で辞めてしまう先生が多いことが原因ではないかと思う。大学でコンピューターを活用した教育を受けた人は昭和の時代と変わらない教育の現場に絶望してせっかく教職を選んでも中途で辞めてしまうだろう。全くの想像だが。
ランドセルが重いことが話題になったが、最近はタブレットを子供が使うことになっていて、教科書・ノートのほかにタブレットと充電用のアダプターも一緒に持って行くのでさらに重くなるという。だが、ちょっと待て、教科書とタブレットの両方を使うのだろうか。タブレットは教科書の代わりになるのが売り文句だったはずだ。
タブレットを導入するのなら教科書は捨てるぐらいの覚悟がないとメリットが生まれない。教科書ベースの授業計画しかなかったらタブレットは単なるお飾りになってしまう。
教科書を全廃することがむずかしければ、教科によってタブレットを使う日とそうでない日を分け、どの教科の教科書を持って行くべきかを同報メールで生徒全員に知らせるようにすればよい。
これも一番大切な子供達の健康より慣れ親しんだ今までのやり方を大事にすることから来ている。学校のDXで一番変えなければならないのは教師の心構えだ。学校の先生は勇気を持って新しいことに挑戦してほしいし、それを管理職が認めるようになってほしい。