今年はOMFが観客を入れて行われる。
と言っても大抵の人にはちんぷんかんぷんだろうと思われるのでちょっと説明する。
OMFはセイジオザワ松本フェスティバルの略で、もともとはサイトウキネンフェスティバルとして1992年から松本市で開催されている国際的な音楽フェスティバルである。小澤征爾が指揮するサイトウキネンオーケストラの演奏が聞けるのが売りで、開催期間の2週間は全国、全世界から聴衆がやってくる。
OMFではかならずオペラの上演があるが、今年の演目はなんと「フィガロの結婚」なのである。何度もレコードで聞き、舞台の上演も2回見ている。OMFだったら歌手もオーケストラも今まで聴いた中で最高のはずだが、残念ながらここ3年はコロナのこともありコンサートなるものは全く行っていない。今回のOMFも最初から行く選択肢はなかった。
このオペラのなかで一番好きな場面について述べるので、実演を見られない残念さを理解していただけたらと思う。
三幕目に伯爵とスザンナ(フィガロの婚約者)の二重唱がある。これの言葉と音楽の関係が絶妙なのだ。
背景をちょっとだけ説明すると、伯爵はかつてフィガロの助けで美女と結婚することができたにもかかわらず、今度は家来であるフィガロとスザンナが結婚することを知りながらスザンナに対して食指を伸ばしている。伯爵はスザンナと逢い引きをしようとし、スザンナは伯爵を罠にかけるために逢い引きの約束を受けるつもりでいる。二人の思惑は完全に食い違っている。
二重唱は短調で始まる。伯爵は「冷たいぞ。お前はどうしてこんなに私を苦しめるのか。」曲想は明るく軽快に変わって、スザンナ「女ははいと言えるときを待っているのです」。伯爵「今晩、庭園に来るか」「お望みならば」「約束を破ったりするまいな」「はい、決して破りません」(インターネットの「オペラ対訳プロジェクト」を参考にした)
という具合に続く。伯爵にとってはちょっと後ろめたい約束を確認するときは短調に変わり、約束が間違いないと確信するとまた長調にと曲想がどんどん変化するのだが、音楽としてはなめらかに切れ目なくつながっていく。
伯爵とスザンナが質問と応答をするときは質問のメロディーをちょっと変えて応答し音楽的にもやりとりができている。念押しで質問と応答が繰り返されるときはさらにメロディーを変化させる。思惑が違う二人の気持ちをそのまま表したやりとりなのに音楽の流れが途切れることはない。言葉と音楽の関係が快感を感じさせるくらいぴったりしている。ダポンテの書いたイタリア語の台詞とモーツァルトの音楽は一体化している。堀内敬三さんの訳詞はよくできているのだろうけれどイタリア語の直訳ではないので日本語上演だとこの面白みはない。もちろん直訳ではメロディーに乗らないのだが。
伯爵の「約束を破ったりするまいな」と訳した部分は
Non mi mancherai?
となっている。mancareはフランス語のmanquerに対応する動詞で音も意味もかなり近い。語尾のraiはフランス語の未来形の語尾に似ている。だから、耳で聞いたときに何となく意味が分かった気がしたのだ。(それで大きく間違ってはいないらしい)
そんなこんなでこの二重唱は私にとっては特別なのだが、それも聴いていて快い美しい音楽であってこそだと思う。男声も女声も、それに寄り添うオーケストラも美しい。サイトウキネンオーケストラの木管だったらきっと素晴らしいはずだ。
高校生のときにカンツォーネが大好きだったし、高校大学のころはイタリア映画を見る機会が多かった。モーツァルトのオペラはそのあとだが、耳から入ったイタリア語の単語はかなりある。全く下地のないスペイン語よりはイタリア語のほうが取っつきやすいかもしれない。たぶんイタリア語を学習することはもうないだろうけれど。