読み書き調査と会計機

 12日の国研の共同利用セミナーでは私も発表をしたのだが、個人的に一番興味をひかれたのは高田智和さんの発表だった。1948年の日本人読み書き調査の資料が国研にあるというのだ。この読み書き調査は占領軍が企画し、実際の調査と結果の分析はあとで統計数理研究所の所長となる林知己夫、のちの東大教授の柴田武らが行ったものだ。読み書き調査は国語研究所ができる前の話だが、のちの国研の行った数々の大量調査に大きな示唆を与えた。
 占領軍は日本が民主化しなかったために無理な戦争に突き進んだと考えた。その原因は日本語で漢字を使うために日本人の教育が行き届かなかったことと考え、漢字を廃止すれば識字率が向上し、日本社会が民主化するはずだとした。この推論には何カ所も怪しいところがあるが、それはともかく占領軍(米軍)が偉かったのはそこからすぐに漢字廃止に向かわず、日本人の識字率が本当に低いのか調べることが必要だと考えたことだった。
 実際に調査をした結果、識字率はむしろ高いことが分かり、占領軍は不承不承漢字廃止をあきらめた。目論見と違う結果が出たときに素直にそれを認めた米軍も立派だが、もし強引に漢字廃止をしたら何のために読み書き調査をしたかということになる。データ重視は米軍の伝統で、日本軍との大きな違いだ。
 この史実をもとにした小説が井上ひさしの「東京セブンローズ」で、なんとも面白い話に仕上がっている。漢字廃止のために読み書き調査をしたが、結果を見てそれをあきらめたという事実はそのままに、それ以外はファンタジーの限りをつくした、はちゃめちゃな話である。楽しいので一度読んでみてください。個人的には井上ひさしこそノーベル賞にふさわしかったと思っているくらいである。
 高田さんにはこの読み書き調査の資料、謄写版で作られた報告書やメモなどを一つ一つ解説していただいたのだが、そのメモのなかに「計算機による集計」ということばが出てきた。この「計算機」は電子計算機(コンピューター)のことではない。1948年時点ではコンピューターはそこまで実用化されていなかった。ここで計算機と言っているのは会計機(tabulating machine)のことだろう。
 会計機とはパンチカードを使って、集計や各種会計計算、データのソートなどをする機械である。発明されたのは19世紀の後半で1948年時点ではもう半世紀以上にわたって使われていたことになる。もともとはアメリカで1880年に国勢調査をしたときに結果を出すのに何年もかかったのでもっと効率的に集計するために作られたものだった。発明したのはHollerithという人で、1890年の国勢調査にはこの会計機が用いられた。昔のことだから、電子的なものを内部処理に使うことはなく、計算などはリレー(電磁スイッチ)を使って行った。スイッチングはトランジスターに比べて遅いので今のコンピューターのように速く計算できない。計算は遅いが人間と違って間違えないのとぶっ続けで作業ができるので、結果として何人分もの仕事をすることができた。リレーの出す音はすさまじかっただろうけれど。
 こんなに便利なのに日本では導入されなかったのは、輸入品で高価だったのと英数字しか使えないためではないかと思われる。当時の日本人の発想ではありあまる人手があるのにわざわざ機械を使うことはないとなったのではないか。アメリカ人の発想は人間の作業を便利にするためにその作業の道具をどんどん作るというものであり、会計機はその極致と言えるものだった。
 柴田は初めてパンチカードを使った集計を目の当たりにして驚いた。後年大学で教鞭をとったときに何かの折に述懐することがあり、私もそれを聞いたことがある。
 Hollerithはパンチカードシステムの発明者として名を残している。コンピューター誕生のずっと前からその周辺技術であるパンチカードとテレタイプが実用的に使われていたのは面白いことだ。コンピューターの入出力を担う装置はずっと前にできていて、本体だけが後から作られたことになる。

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