真田信治さんが亡くなった。
多くの人にとってそうであるように真田さんは私にとって特別な人の一人だった。阪大の大勢のお弟子さんたち、学会の研究仲間、その他いろいろな関係の人たちにとって間違いなく特別な人だった。
私が国研に入ったとき、言語変化第一研究室で私を迎えてくれたのは室長の佐藤亮一さん、研究員の真田さん、そして研究補助員の白沢宏枝さんだった。
悲しいことにその人達はみんなこの世にいない。2016年に白沢さんが亡くなり、2020年に佐藤さん、そして今年は真田さんにお別れすることになった。
真田さんとは研究室で3年ご一緒した。思い出はきりがないくらいある。一緒に調査に出た。お正月に奄美に行って調査をしたこともある。研究室で話もした。研究室で何かをするとき秘書的な仕事を買って出るのは真田さんだった。たとえば、調査を計画して調査項目の案がまとまったときにそれを調査票の形に仕上げるのは真田さんだった。
原稿の締め切りは必ず守る。なにかの折りに「いつ死んでも悔いはないよ」と言っているのを聞いたことがある。いつも笑顔を絶やさない。絶対に敵を作らない。「気が弱いから強く出られない」と言っていた。私には真似ができないことばかりだ。
真田さんが阪大に転出するのは3月末と決まっていたが、研究室の机の前に貼ったカレンダーに1日が過ぎるごとにその日付に×を付けていた。引っ越しの手順を一つ一つ完了させたことを確認しつつ×をつけていたようだったが、私は×が増えるのを見て悲しい気持ちになったものだった。
今回はまさか頭の中のカレンダーに×をつけていたのではないよね。真田さん。