昨日(2023年2月24日)は国研の大西さんの空間接続研究会だった。対面での研究会は本当に久しぶりのことだ。「対面」とわざわざ冠するのはこの3年間ズームでの会議や研究会が常態化したからで、今回は対面とズームの併用(ハイブリッド)の開催だった。
ズームは移動が必要ないのでとても有り難いのだが、いつも会えない人と話をしたりその場の空気を共有することは対面でしかできない。コロナがかなり下火になったので、もう大丈夫かと国研に行って研究会のメンバーに会うことにした。行ってみたら対面に参加したのは10人でちょっと拍子抜けしたが、収穫はあった。
4人の発表はそれぞれ興味を引くものだったが、一番びっくりし、なおかつ日本語研究者や辞書編集者と共有したいことを取り上げることにする。
ポルトガル語研究者の黒澤直俊さんの発表は「じゃがいも、とうもろこし、かぼちゃ-イベリア半島における分布と通時」だった。主にこれらの渡来植物の語史に関するお話だったのだが、カボチャはもともとポルトガル語ではabóboraあるいはcabaça(カバサ)と言っていたというのだ。
abóboraは今でもポルトガル語ではカボチャを指す言葉で日本の方言でもボーブラ、ドフラなどの形で残っている。一方日本で普通に使っているカボチャの語源はどの辞書も「地名のカンボジアから」ということで一致している。新明解の最新版、第8版にもそう書いてあって、これは定説化している。私も『日本の方言地図』でかぼちゃの項を執筆したときにそのように書いた記憶がある。
でもどうしてカンボジアなのだろう。カンボジアにポルトガルの貿易拠点があったという話は聞いたことがない。もとのポルトガル語にカンボジアとかぼちゃを結びつける何かがあったかというとそれもなさそうだ。
黒澤さんの「cabaçaとも言っていた」というのは晴天の霹靂で、カバサがもとになってカボチャという発音になったとしたら納得のいくことである。カンボジアという関係があまりなさそうな地名にこじつけるより、カボチャを表す言葉がそのまま日本語に入ったとしたほうがずっと自然だ。
現代のポルトガル語辞典を見るとabóboraの意味として「カボチャ」があるが、cabaçaの意味は「瓜」となっていて「カボチャ」はない。国語辞典編集者や国語学者はポルトガル語の専門家ではないので500年前のポルトガル語の知識はない。カンボジア説が定説化した背景はそれだったのではないか。
外来語の語源が過去50年間に改められた例はいくつかある。一つはスポーツ選手の「ゼッケン」で『新明解国語辞典第4版』(1989)では「語原未詳」となっていたが、『第5版(以下辞典名は省略)』(1997)では「ドDecke(=馬の鞍の下に敷く毛布)の変化という」と変わっている。Deckeは馬術競技で毛布のことを指しているのであればゼッケンの語源としてふさわしいと思われる。
もう一つは「てんぷら」で『新明解』では語源が2回変わっている。『第2版』(1972)で「ポtempero」、『第4版』では「四旬節の意のポquatro templo rasiの一部を耳にとどめたのが基という」、『第5版』では「もと、四季斎日の意のポquatro temporasを耳で聞いたままの語。四季斎日は四季の初めごとの水・金・土曜の三日。カトリックではこの三日は鳥獣の肉を食べない」となっていて、この語源は『第8版』(2020)まで引き継がれている(「ポquatro temporasからか」と表現を弱めているが)。
なお、temperoは「調味料;[食べ物の]調味済みの状態」とポルトガル語辞典にある。これでもいいような気もする。『第4版』の「四旬節」はどうなのだろうか。断食期間だから「四季斎日」と似たようなことになる。でも、音が離れすぎていると判断して採用を止めたのだろう。
辞書には外来語として採録されていないために語源が記されていないが、普通には字面通りに語源が解釈されている語がある。それが実は外来語で語源も全く予想外のものだと最近知った。それは「馬鈴薯」である。
馬につける鈴だからジャガイモぐらいの大きさなのだろうと漠然と思っていたが、馬に鈴がついているのはあまり見ない。そうではなくて「馬鈴」とはマラヤのことで、中国語から来ているのだと中国語研究者の岩田礼さんに教えていただいた。マラヤというのは正確な地名ではなく、オランダに支配されていたバタビヤ(ジャカルタ)を指していたのかもしれない。マレー語を話す地域という意味のマラヤではというのが私の推測である。
中国語から来た語でも移入の時期が近世以降であれば外来語となる。「馬鈴薯」は漢語と判断されてきたが、こうしてみると外来語で辞書には語源も記されるべきだということになる。