世界遺産信仰

公金を無駄遣いした容疑で前松本市長が書類送検されたという報道が少し前にあった。ちょっとショッキングな話だ。このブログで取り上げようと思っていたことを差し置いてこの事件の背景について書きたい。
前市長が告発されているという話は前から知っていたのだが詳しい経緯は上の報道の翌日の新聞で知った。簡単に言うと、市は松本城のお堀の内側に建っていた博物館を移転して町のなかに新しい博物館を建てたのだが、その敷地の一部は長野県の地銀であるH銀行の持ち物だった。市は土地の買い取りを希望したが、銀行は売却を拒み定期借地契約で市に貸す形にした。
普通は定期借地契約は50年ぐらいの長期である。契約期間が終わったら借り主は土地を更地にして返すことになる。大抵の建物は50年ぐらいで建て替えることが多いので博物館が50年も持てばいいのではないかと思ったのだが、違った。契約期間は10年だと言うのだ。博物館は借地契約期間が始まった2020年に建設を開始し、もう完成しているのだが、今年の10月に開館する。しかし、契約期間の終了までに取り壊して更地にするための時間があるので64億円かけて造ったものが6年しか使えないということになる。
本当に笑えない話である。どうしてこんなことになったのか、その遠因は何が何でも松本城を世界遺産にしたいという市役所の執念あるいは焦りだと思う。今まで市は松本城をもとの姿(いつの「もと」か、それが問題だ)に戻すことに多大な労力とお金をつぎこんできた。太鼓門を復元し、今は埋め立てられてその上に建物が建っていたお堀を復元するための大工事をしている。博物館は太鼓門より内側に大きなスペースを占めていた。世界遺産を目指すうえではお城のすぐそばにコンクリート造りの建物があるのは都合が悪い。博物館は出来るだけ早く移転させよう。この焦りが上記の無理な契約につながったのではないか。
もともと日本の城のうち、国宝だったのは姫路城、彦根城、犬山城と松本城だった(松江城が国宝に指定されたのは最近)。ところがこのなかで姫路城だけが世界遺産となり、それ以来、市は松本城の世界遺産化に異常な熱意を燃やしている。私の邪推だが彦根城に先を越されるのがいやなのかもしれない。
世界遺産化の動機の一つは市の公共事業が一段落して大きなテーマがなくなったことだと思う。松本に住むようになって30数年になるが、この町は常に何か大きな工事をしているところだと思う。そのあいだに総合文化ホールと美術館ができ、中心市街地の整備がほぼ終わり、松本駅が新しくなり、西口に新しく駅前広場を造った。さしあたって必要なものはすべて揃った感がある。市役所の新庁舎という話もあったが、それは現市長が止めた。経済の活性化のために公共工事は止められない(と誰かが信じている)公共工事のための格好のテーマが世界遺産だ。世界遺産というブランドは絶対だ(と信じている向きがある)。
もう一つは世界遺産化が市のためになると本気で信じている人たちが存在していることだ。その人たちは信仰と言っていいくらい世界遺産を有難がっていて世界遺産になることが松本市民の誇りになると思っている。それに世界遺産になればお客さんが来るだろう。

世界遺産化の実現可能性を私は大いに疑っている。姫路城に行ったことがあるが、松本城とはスケールが違う。世界遺産になるにふさわしいと納得した。
では、松本城はつまらないちっぽけなものかと言ったらそうではない。お堀に天守が面していてバックには3000メートル級の山がそびえている。前景に水面、後景に雪の山で日本中の城のなかで一番写真映えがする。世界中から城を目指して人がやってくる。それは世界遺産ブランドとは全く関係がない唯一無二のものだ。今でも観光客が多すぎるぐらいなのだ。松本城と松本の名はもう既に世界中に知られている。世界遺産という基準は満たしていないが、美しさという別の基準からは特別な地位を占めている。
このうえ世界遺産という外部の人がつけてくれるお墨付きがなければ満足できないのだろうか。ちょっと情けないことだ。もっと自信を持っていいぞ松本市役所。
世界遺産よりは町の魅力を見つめ直してどうやったらその価値を高められるか考えたほうがいいのではないか。ユーチューブで外国からの観光客に日本の印象を語らせる番組があるが、そのなかで某国から来た人が「京都、金沢も行ったが、松本が一番気に入った。日本の小さな田舎で町もきれい、人も親切だ。」と言っているのを見た。町の住民としては我が意を得たりだ。あんまり浮ついていなくて落ち着いた町だと思う。
世界遺産かどうかは町の魅力と関係がない。世界遺産化を推進している市のお役人は「歴史を大事にしよう」と言うのだが、江戸時代だけが歴史なのだろうか。最近100年間に町の人たちが普通に生活して築いてきたものも歴史だ。それを破壊して正確かどうか分からない元の姿に復元するのは正しいことなのだろうか。世界遺産にできるかどうか怪しいとしたら、一連の工事はなおさら意味のないことなのではないか。そう思えて仕方がない。

 

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カテゴリー: 雑文

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