松本市立博物館が城の敷地から中心市街に引っ越して新装開館したのだが、オープニングイベントとして行われた御柱にまつわる芸能の公演を見に行ってきた。
前日も公演はあったのだが、それは浮き世の義理で見逃した。今回は千鹿頭(ちかとう)神社の長持唄と木遣り唄、須々岐水(すすきがわ)神社の木遣り唄だった。
松本地方の木遣りについては前に書いたことがあるが、これは諏訪大社などの木遣りとは全く違い、文字にすれば何行にもわたるような長さと内容の唄である。時間的な長さも発声もメロディーも諏訪とは異なる。全く個人的な感想だが、聞いた感じは相撲甚句に近い。江戸木遣りは聞いたことがないのだが、こんなものなのだろうか。
二つの神社の木遣りは全く違って聞こえる。メロディーも違うし、詞も違うのだが、私は伝統音楽の曲を覚えられないので、脳の中でそれを再現することができない。「雰囲気が違う」ぐらいのあやふやな印象になってしまう。クラシックの曲だったら一度聞けばかなりの程度記憶できるのに、伝統音楽はだめなのだ。ネイティブの言語以外の全く未知のことばを聞いたときに正しく聞き取れないのと同じことなのかもしれない。
今回、一番心をひかれたのは千鹿頭神社の長持唄だった。長持ちというのは、天秤棒の下に取り付けた木の箱で、これを前後の人が担いで上下に揺らすとギーコギーコと音がする。この音に合わせて唄うのだ。
短い間に性格の異なる木遣りを聴いて、印象の対照ができたのはよかったと思う。