頭のチーズ

国研の所蔵している海外言語地図を調査しているのだが、そのなかの『ニューイングランド言語地図』(キューラス、1939)の地図化項目のなかにhead cheese,souseとあるのを発見した。これこそベルギー生まれのグロータースさんの言っていた「頭のチーズ」に違いない。
ベルギーは自分から戦争を仕掛けることはないが、ヨーロッパで戦争が起きればかならずと言っていいほど戦場になった。ナポレオンが敗戦を喫したあのワーテルローもベルギーだった。ベルギー人は自分の国土が他国の軍隊に蹂躙されることを生きている間に何度も経験したり、あるいは上の世代から聞いたりしていた。
戦争が始まると聞いたとき、グロータースさんの母親は豚の頭を買ってきて大きな鍋で煮たのだそうだ。何時間も煮ていると頭の皮が骨から離れ、凝集してひとかたまりになる。それを「頭のチーズ」と言って保存食にした。もちろん煮汁はスープになる。
今になって考えるのだが、グロータースさんの言う戦争はいつのことだろうか。グロータースさんは1911年(明治44年!)の生まれだから1914年に勃発した第一次世界大戦のことに違いない。第二次世界大戦のときはグロータースさんは中国にいたからだ。
だとすると「頭のチーズ」はグロータースさん3歳のときの記憶ということになる。記憶力がすばらしいグロータースさんのことだからそれぐらいの年から記憶が始まっていても不思議ではないが、それにしては妙に細かなことまで詳しい話だったと思うのだ。
cheese of headあるいはfromage de tête(フランス語)でウィキペディアをあたってみると詳しい説明を見ることができる。脳みそや眼球は使わないこと、脚を材料の一つとして使うこともあること、ゼラチンで固めることなどだ。骨からゼラチン成分がしみ出してくればわざわざゼラチンを使わなくても固まるのかもしれない。脳みその料理は食べたことがあるが、脂ぎった豆腐のように感じた。あれはあれで単独で料理の材料になるし、柔らかすぎるので頭のチーズに加えるのは難しいだろう。
「頭のチーズ」はヨーロッパでは普通に存在しているらしいのだが、『ニューイングランド言語地図』のその項目の地図を見ると、地点によっては「食べない」という回答があったりする。かなり癖が強いものなので、作らなかったり食べなかったりする人がいてもおかしくない。グロータースさんのお母さんが非常時の保存食としたのは安く買える豚の頭で大量のタンパク質が手に入るからだったのだろう。
ウクライナやガザでも頭のチーズは作ったのだろうか。「回教徒は豚の代わりに羊を使う」とウィキペディアにあったので、パレスチナでも知識としてはあるはずだが、肝心の材料が手に入らなかったかもしれない。ウクライナにもガザにも平和な日が一日も早く来ることを願う。

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