9月から東京の都美術館で田中一村の展覧会を開催している。
田中一村の名前を知らない人は多いのではないかと思う。1977年に69歳で永眠したあと、名瀬市で遺作展が開かれたり南日本新聞で画業が紹介されたりしたのだが、1984年にNHKが日曜美術館で特集を放送したことによって全国的に名前が知られるようになった。
一村は奄美大島で最後の20年近くを過ごし、南国の自然を描いた。一村の絵はほかに見られないような独自のもので、特に奄美時代のものは一目見て一村の作品だと分かる。奄美の人達にとっては心のふるさとのように感じられているようだ。
奄美空港の近くに「奄美パーク」という施設があり、その建物に接続するようにして田中一村美術館がある。ここは一村の奄美時代以前の作品を含む一村の主要な作品を展示している。私は奄美空港を利用するたびにここを訪れることにしている。徳之島に乗り継ぐときに必ず空き時間ができるからなのだが。
でも一村の絵に心惹かれるのはなぜなのだろう。恐らく私が奄美の陽光や海、鳥や森を知っていて絵の中にそれらがあると感じるからなのだろう。私が長い時間を過ごしたのは大島の南の徳之島なのだが、大島と徳之島では気候が微妙に違う。大島のほうが降雨量が多く、湿気も強い。名瀬の町中の公園にガジュマルの大木があって、気根を垂らしている。徳之島でもガジュマルがあるが、気根はこんなに多くない。名瀬の同じ公園にはなんとゴムの木もあって、同じように気根を垂らしている。ゴムの木の鉢植えは東京でも松本でも見かけることはあるが、気根は見ない。気根というのは空気中の水分を捉えるためのものなので室内では出てこないものだ。名瀬のゴムの木を見てむせかえるような湿気と暑さを想像した。
一村は確かに奄美の自然を描いたが、そこにはむせかえるような暑さも湿気もない。照りつける日光の厳しさもない。一村は日盛りではなく、日が沈んだあとの残照の海を描いた。奄美の森も単色で照葉樹林のなかの暗さを描いた。一村は強烈な光や熱ではなく、言わば蒸留された自然を描いた。でも不思議なことにその絵を見て「奄美がここにある」と感じるのだ。
都美術館の展示は9月に始まって12月の初めまで行われる。個人的には田中一村美術館やコロナ前の滋賀県の佐川美術館の大展覧会でほとんど全作品を見ているので大混雑が予想される東京は敬遠したい気持ちがある。でも、東京近辺に在住の方にはぜひ行って見ていただきたい。