『日本語二千文』

「徳之島二千文」の説明をするまえに『日本語二千文』(1971年早稲田大学語学教育研究所発行)の説明をしなければならない。
この書の著者はアンリ・フレ(Henri Frei)、ジュネーブ大学のBailly(バイイ)の弟子である。バイイはソシュールの弟子なのでソシュールの孫弟子にあたる。実際、フレは1957年から1972年までCahiers de Ferdinand de Saussureという雑誌の共同編集者でもあった。
川本茂雄の解説には「アンリ・フレ教授のLe Livre des deux mille phrasesはフランス語の文を2,000例集めた「文の辞典」dictionnaire de phrasesであって,1953年にジュネーブのDroz書店から発刊された。書物は2部から成立ち,第1部では「文の辞典」の理念と方法が論述され,第2部では1人のパリ人の話し方に基く2,000の文例が収容されている。」とあるが、日本語二千文に先立つものとしてフランス語の二千文があり、それに対応する二千文を日本語で作ろうとしたのであった。
フレは1936年に高田馬場に居を構え、フランス語の二千文と英語の二千文をもとに若き日の川本らをインフォーマントとして日本語の二千文を作成するべく作業を行っていた。フレは1938年に帰国するが、神保格によって拡充されたデータは川本茂雄によって改訂された。戦争中も前田護郎による改訂があり、1962年に川本がジュネーブを再訪した折、2000枚のカードを書写して刊行しようとしたが、戦前と戦後では日本語が大きく変わっていて、そのままでは自然な話し言葉として世に出すことはできないと判明した。フレの二千文は一人の話者の言葉で統一することに意味があるので、伊東英が全文を自分の言葉で「仕上げ」た。
フレの序文からは具体的な作業は想像するしかないが、伊東英(川本茂雄の同僚、詳しいことを知っている人がいたら教えてください)がすべての文を読み直し、フランス語と対照しながら自分の言葉にしたのだろう。原文がそのまま使われたこともあるだろうし、大幅に手直ししたこともあったかもしれない。
おそらく伊東英が手を入れるまえの原文は失われていることと思われるが、もしそれを見ることができれば、戦争の前後の日本語の激動を知る好材料になったことと思われる。ちょっと残念だ。
スイスのフランス人であるフレがどういうきっかけで高田馬場に住むことになったのか、そもそもどうして日本語で二千文を作ろうと思ったのか不思議だったのだが、フレの略歴を調べたところ以下の事実が判明した。

フレ(1899-1980年)は1921年ジュネーブ大学卒業、1926年パリの東洋現代語学校卒業(日本語とヒンディー語のディプロマ)、1933-1934年北京の仏華大学で教える。1934-1938年アテネフランセ(神田三崎町にあった)で教える。1938-1939年香港に滞在。1940年からジュネーヴ大学で教える。(Dictionnaire historique de la Suisse,2007から)

日本語ができるのは当たり前だった。アテネフランセで教えたのもたとえて言えば英語を研究しにアメリカに行った日本人が向こうの大学で日本語を教えて給料をもらうようなものだろうか。アテネでフランス語を教えた学生が優秀だったのでその学生の通っている早稲田大学に近い高田馬場に引っ越したのだろう。全くの想像だが、川本茂雄にとってみればフランス語の先生が言語学の大家でもあることが判明して、日本語の談義ができ言語学もひざ詰めで教えてもらえる幸せにひたったのではないか。川本がフレを追うようにして大戦前ジュネーヴに渡ったのを見てもお互いに師として弟子として認め合う関係だったと想像される。高田馬場時代はフレにとっても懐かしい日々だったようだ。フレの経歴からして日本語二千文の刊行を切望していたことだろう。

肝心の二千文の内容だが、川本は「フレ教授の『文の辞典』フランス語についても,日本語・中国語についても,それは現実には特定の2,000の文例の収集である。ひとつの言語の文法・語彙・音韻を範例的に代表し得るように選ばれた2,000箇の文の目録である。」とも「人間・事物・自然の諸相にわたって主要概念を採択し,それらを単語の姿においてではなく,2,000の文の形に収めて具体化したものである。」とも言っている。
方言の調査にこれを使った経験では、特定の生活場面だけを取り上げているのではないことからうまい具合に使用語彙がばらけていると感じる。数えたわけではないが、全体のテキストの量からすると異なり語数は多いようだ。一方で「軍艦」とか「タンク(戦車のこと)」のようにちょっと違和感のある語があったりする。また、文の種類も平叙文だけでなく、疑問文、命令文、感嘆文とタイプが一通りそろっている。方言談話資料や昔話を方言のテキストとして使うことが多く見られるが、使用場面や文のタイプが偏っているのではないかと思うことがある。その点では日本語二千文には今でも存在意義がある。
現代では書き言葉の日本語であればコンピューターの解析ソフトで形態素に分解して品詞づけをすることが可能であり、それによる統計的な分析もできる。前々からやろうと思っているのに生来の怠け癖でいまだにできていないのだが、日本語二千文の計量的研究をしなければならない。それはフレが果たそうとして果たせなかった夢でもある。

蛇足になるが、書籍としての『日本語二千文』についても少しだけ述べることにする。本書は1971年に初版が出版されたが、版を重ねた形跡がない。小部数が発行されたが、世の中に反響を残さず消えたのではないだろうか。私の手元にこれがある経緯については全く記憶がないが、1972年か3年に調査に使ったので、出版されて間もないころに書店で見つけて買い求めたと想像する。この書が全く世に忘れられているのは残念である。

『日本語二千文』の序文(アンリ・フレ、小林英夫、川本茂雄の3人が書いている)はここからダウンロードできる。二千文の目的についてフレも川本も詳しく述べているので、興味のある方には熟読をお願いしたい。

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