Wenkerの調査票(続)

「Wenkerの調査票」なる記事を投稿したのは、『ルクセンブルク言語地図』を調査している過程で調査文に遭遇して「これは儲けもの!」と思ったからなのだが、ちょっとショックなことがあった。
実はウィキペディアドイツ語版に”Deutscher Sprachatlas”(正式名称はDer Deutsche Sprachatlasだが、事典の見出しとしてはこの形になる。ややこしい)なる項目があり、もちろん、「ドイツ言語地図」のことです、これの末尾に40の調査文が番号付きで記載されていたのである。
二重にショックだったのは、以前確かにこのウィキペディアを見ていてそのときに調査文があることに気づいていたことを思い出したのだ。サワキ、ヤキが回ったか。
それはよいとして、ここにはもう一つ大事な情報が書いてあった。ドイツ言語地図の調査はWenker(調査票数 44251)のあと、補充調査が行われていたのだという。それは主に大戦間のドイツが激動に見舞われていた時代だが、内訳は以下のようになる。
地域名に注釈をつけたが、ズデーテン以外全部ウィキペディアによる。学生が卒論でこれをしたら、「なんじゃ」と叱るところであるし、自分が論文にこれを書くときは出典を調べなければならない。でも、便利であることは認める。

1888年 ルクセンブルク 調査票の数 325
1926ー1933年 ズデーテン地方 2854
オーストリア 3628
リヒテンシュタイン 24
ブルゲンラント 28
ゴットシェー地域 35
スイス 1785
ポーランド(旧ドイツ帝国の国境のポーランド側) 396
南チロル 485
北イタリアのzimbrisch方言の37コミュニティー(コミュニティーに対して1ずつ)
北フリジア、東フリジア 67

ドイツ語以外の言語(例としてイディッシュ語のなかでもドイツ語の特徴の刻印の濃いもの) 2050

ズデーテン チェコスロバキアのドイツ系住民の多い地域。1938年のミュンヘン会談でヒトラーが割譲を要求したことで知られる

ブルゲンラント オーストリアとハンガリーの国境地帯でハンガリー側のドイツ人が多く居住している地域。もともとハンガリー領だったが、ドイツ移民が多く流入した。その後オーストリアハンガリー帝国となったが、第一次大戦後、帝国解体に伴ってオーストリアに帰属することになった。中心都市ショプロンだけが住民投票でハンガリーに帰属することになったが、ここではショプロンおよびその周辺を指すと思われる。個人的な思い出になるが、ハンガリーの大学でマーテ―君という優秀な学生と知り合った。ドイツ語もよくできる人だったが、ショプロンの出身だった。バイリンガルだったのではないかと今思う。

ゴットシェー  スロベニアのコチェーヴィエを中心としたドイツ語の言語島。地図で見るとリュブリアナのずっと南、クロアチアに接している。調査当時でドイツ人植民は600年の歴史があった。

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