「昔の歌い方」を知るためのいい資料がある。青春歌年鑑シリーズのCDである。これは発表されてから時間が経って単独では売れなくなった音源を年代別に収録したもので、最大で13社が協賛していくつかのシリーズが作られた。私が主に利用しているのは「青春歌年鑑BEST30」と「青春歌年鑑PLUS」で、前者は1960年から1990年まで各年のヒット曲30曲を2枚組CDにしたもので後者は前者にもれたヒット曲のうち各年最大20曲を1枚のCDに収めたものである。全部合わせると1500曲弱になる。この企画に協賛しなかったレコード会社もあるし、どういう理由かアーチストによっては収録されていないこともあったりするが、全くヒットしなかった曲はこのなかにはないので、上の二つのシリーズはその年のヒット曲の代表と考えて差し支えない。私はこのなかのすべての音源と歌詞のデータを持っている。
それでは、最近のヒット曲はどうか。実はこれが全く自信がないのだ。自分自身この30年に身を入れて日本の流行歌謡を聞くことがなくなったために、その方面に全く不案内になってしまった。そのうえに音楽の楽しみ方が多様化して配信やyoutubeで聴くのがむしろ普通になり、CDの売れ行きが必ずしも流行の指標ではなくなった。さらに、街のどこに行っても山口百恵の曲が流れているというのが40年前だったが、今は老若男女誰でも知っている歌手はまずいない。音楽享受のあり方も多様化し、あるジャンルのファンは他のジャンルを全く聞かないことが多い。そのために世の中共通のヒット曲もない。ヒット曲の代表をどう選べばいいか分からないというのが本当のところである。
最近の曲は何かのきっかけでたまたま気になったものを聞く程度だが、それでも傾向として言えそうなのは、母音の無声化がより頻発するようになったこと、一つの音符に複数の音節を詰め込むような歌い方が出てきたことだ。後者は時間当たりの音節数が増えたことと関係がありそうだ。メロディーのなかに歌詞を当てはめるやり方のことを譜割り(今回調べていて知った語)と言うらしいのだが、譜割りの変化は歌詞のあり方と関係している。数十年前の歌謡曲は七五調であったりして詩としての外観を持っていたが、今の歌詞はある人が「日記を読んでいるかのよう」と評したような、話し言葉そのままの表現を使っている。そのために言語量が増え、強引な譜割りになる。そう考えると母音の無声化も強引な譜割りも歌詞の話し言葉化に関係が深いと言えるのかもしれない。そしてメロディーよりも歌詞が優先されるようになった。
歌詞のためにメロディーが変わってしまうことがある。クラシックの曲になるが、高校の音楽の教科書に「フィガロの結婚」からのアリアがあった。授業では「もう飛ぶまいぞこのちょうちょ」と何の疑問も持たずに歌っていたのだが、その数年後、FM放送で日本語訳詞の「フィガロの結婚」を聞いていたら「もはや飛ぶまいこのちょうちょ」となっていたのでびっくりした。どちらも堀内敬三の訳詞だと思われるが、これは後者のほうがイタリア語の原曲に近いのである。後者の日本語で説明すると原曲では「もは」「とぶ」「この」が付点8分音符と16分音符の軽快なリズムの繰り返しになるのだが、前者だと「もう」をどうしても4分音符で歌ってしまい、日本語としてひとまとまりの「飛ぶまい」がメロディーとしてもまとまっているかのように聞こえてしまう。実際は「もうとぶ」「まいぞ」「このちょうちょ」のように3単位から成る旋律だったはずなのだが。
ディズニー映画の「アナと雪の女王」の”Let it go”が原詞と訳詞でメロディーが変わってしまうと私の近くにいる人間が言っていたが、確認できていない。そういうこともあるだろうと思う。
無声化の場合は、同じ高さの音が続くときに最初の音が無声化することはあり得る。無声化した音は高さがないが、後続する音は高さがあるので聞き手は最初の音が後続と同じ音と錯覚するからである。二つの音の高さが違うのに最初の音が無声化するということはあり得ない。そうすると、「二つ」「二人」の「ふ」は話し言葉では無声化するのが普通だが、歌ではメロディーによっては無声化が考えられないケースがあるということになる。小節の頭で無声化が起きた場合はシンコペーションと同じような効果が生まれる。無声化するしないでメロディーが変わるということになる。最近の曲ではシンコペーションが多用される傾向があって、シンコペーションを実現する手段の一つとして無声化が使われているのではないかとも考えられる。つまり、無声化した歌い方が増えた原因の一つは歌の話し言葉化であり、もう一つの原因はシンコペーションの代用だとも考えられる。
このようにいろいろ考えているのだが、何よりもまず「現代に近づくにつれて無声化した歌い方が増える」ことが事実かどうかを確かめなければならない。そのためにどうしたらいいだろうか。「二人」「二つ」の「ふた」のように無声化する可能性のある音の組み合わせがある曲をすべて探し出し、そのなかでメロディーの制限により無声化があり得ないものを排除したうえで実際に無声化しているかどうか聞いてみる。同じことを「ひと」「すき」など無声化する可能性のある音の組み合わせすべてに対して行う。このような作業をしたうえでなければ、「時とともに無声化した歌い方が増えた」などと言うことはできない。
つくづくトラッドギルがうらやましい。無声化する音節は散発的にしか見つからない。一方でトラッドギルが調査した母音の音色とかnon-prevocalic r(car,cartのように母音の後に来るr)の有無は一曲のなかに必ずあるものである。トラッドギルのほうが楽に調査対象を見つけられる。
ここまで材料を集め、考察を深めたのにどうして「JPOPの日本語(の発音)」の研究をあきらめたか、その理由はいくらでもある。つまみ食いでなく圧倒的な説得力のあるデータを集めるのは大変な労力と時間を要する。私はその前にやりたいことがあって、自分に残された時間を考えたらとてもこちらまで手が回らない。俳号を南鳥とすることに決めた。つまり難聴である。年をとって高い周波数の音が聞こえにくくなった。根をつめて聞き取りをやっていると耳が痛くなってくる。大規模な調査は無理だ。最大の理由は愛だ。最近の歌には自分で愛が感じられない。正直言って、あの最後の国民的歌手が武道館のステージにマイクを置き、ゴンドラに乗って中空に消えたときから私の時間は止まっている。
残念だけれど、これは若い人に引き継いだほうがいいと思う。
沢木先生のお好きな国民的歌手さんは、歌詞がよく聞き取れる滑舌の良さと音感の良さが抜群ですね。でもメロディにしっかりと馴染む歌唱。素晴らしいです。
彼女は引退した1980年にシングルもアルバムも4枚ずつ発表していたことを知りました。ほとんど練習する時間もなく収録していたと思われますが、あれだけの作品を残せるとは、やはり彼女は存在無二の人ですね。
ビートルズは6年、彼女は8年。活動期間の長さと関係なく歴史に残る仕事をしたんだと思います。美空ひばりが亡くなったのは52歳のときでした。これもびっくりですね。
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