長野県のヨーロッパ

今は遠い昔のことのように思われるが、1年前にヨーロッパのコロナの第一波がおさまって、各国がロックダウンを解除したときのニュースの映像で印象的なものがあった。フランスとベルギーの国境でバリケードを撤去して交通が再開するのだが、それがどう見ても一続きの街路なのだ。銀座の大通りにバリケードを作ったようなもので、町の真ん中に国境があるのだ。
それがどこなのかは今は簡単に調べる方法がある。
グーグルマップで国境沿いに町がないかどうか調べ、それらしきところが見つかったら拡大して街路に国境がないか、また航空写真に切り替えて空から見たイメージで建物がどうなっているかを見る。さらにストリートビューで実際に歩いたらどんな感じか確かめることもできる。本当に便利な世の中になった。ベルギーもフランスも行ったことがないが、町の様子は本当によく分かる。
で、何カ所か候補を見つけた。最有力なのはフランス側 Halluinベルギー側 De Barakkenだ。国境をはさんでいるけれど、一つの町として発展してきたと思えるような町並みだ。ストリートビューによれば国境のあたりはニュースで見たのと同じような感じになっている。
今はフランスもベルギーもEUなので、税関もなくてどこに国境があるのか一見して分からない状態である。住民はロックダウンがなければ、床屋でも八百屋でもレストランでも自国かどうかに関係なく、単に便利だったり自分の家から近いからという理由で店を選んでいるのだろう。
ヨーロッパは地続きなので、国境をまたいで存在している町がいくらでもある。もう一つの例はドイツのFrankfurt an der Oderだ。フランクフルトと言っても、あの有名な方ではないが、それなりに大きな町である。Furtは浅瀬を意味していて、もともとオーデル川をはさんでその両側にできた渡し場から発展した町なのだが、第二次大戦の結果としてポーランドとの国境が西側に移動して、オーデル川とナイセ川(オーデル川の上流)が国境になったために町が分断された。今はどちらの国もEUROなので再び一つの町として発展しつつある。実は、こちらのフランクフルトだと思うのだが、1989年にポーランドが民主化されたときに国境の往来が自由になり、ニュースで取り上げられたことがある。グロータースさんに「国境をはさんで一つの町ということがあるんですね」と言ったら「ヨーロッパには普通にあるんだよ」と答えられた。

長野県の塩尻市と辰野町の境に小野という集落がある。塩尻市側は北小野、辰野町側は小野というのだが、車で境界付近を走っていてもどこがそれなのか全く分からない。普通は農村地帯で境界をはさんで集落があっても境界のあたりは人家がないのが普通で、別々の集落と分かるのだが、小野の場合は街道沿いに人家が連続している。
それだけでなく、北小野と小野の子供達は両小野小学校という名前の同じ小学校に通って、両小野中学校に進学する。どちらも両小野学園を形成していて、保育園から中学校まで一貫教育をする。御柱などお祭りも隣接した小野神社矢彦神社で同じ日に行う。属している自治体は違うのだが、実質的には同じ集落と言っていい。
かつて、フィンランドの留学生を小野神社に案内したときに「ヨーロッパの国境の町みたいだ」と言ったら「フィンランドとスエーデンの国境にもそんな町がある」という答えだった。
首都圏のように人口の多いところでは住宅が連続して存在しているので行政区画が外見からは分からないことが多いが、農村地帯で小野のような例は本当に珍しい。私は勝手に「長野県のヨーロッパ」と呼んでいる。

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カテゴリー: 雑文

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