信州大学を退職した2015年、徳之島に4ヶ月ほどプチ移住をした。
プチ移住は一時の思いつきではない。徳之島の方言を研究するうちに、一年に1週間だけ調査に行って研究することの限界を痛感するようになった。だから、在職中もどうやったら半年島に滞在することができるか考えていた。しかし、大学にポストを得ていて教える義務を抱えていれば、学期中に1週間連続して大学を留守にすることだって難しい。でも退職すれば拘束はなくなる。というわけで、定年退職の日を待ちわびていたのだ。
退職の年も2月には入学試験の監督があり、3月には卒業式と最後の教授会があった。これが終われば晴れて自由の身なのだが、すぐ徳之島に飛べるわけではない。長期滞在するためにはそのための場所を確保しなければならない。3月中に徳之島に一度飛んで空き家を紹介してもらっていたが、5月にならないと使えないという話だった。5月の初めに入るつもりでいたが、家の修理が終わり実際に入居できたのは5月の末に近いある日だった。
というわけで、4月は島に行くための準備をゆっくりすることができた。着るものは暖かいところなのであまり考えなくていい。スニーカーが古くなっていたので新調した。
インターネットが使えないと不便なのでモバイルルーターの契約をした。本当はインターネットでJ1に昇格した松本山雅の勇姿を見たかったのだが、動画を何時間も見れば月7ギガのデータ通信料上限を簡単に超えてしまう。だから、島では岡村先生宅で衛星放送でたまに放映される山雅戦を見るしかなかった。
島で移動するのは自転車を考えていたが、松本でいつもしているように自転車に乗るときはヘルメットをかぶりたいのでヘルメットも持って行く荷物のなかに入れた。
空き家で自炊生活を考えたのは経済的な理由もあるが、私の持病である小麦アレルギーのこともある。一度アナフィラキシーで倒れたことがある。単に倒れただけでなく、死の一歩手前まで行ったのだ。小麦の入った食品を食べたら命にかかわる。
いつも島に行くときに使っていた旅館はアレルギーに理解があって、いままで対応してくれていたが、1週間ならともかく、私が4ヶ月ももし連続で滞在すれば、旅館は私だけのためにずっと除去食メニューにしなければならない。小麦を使っていけないとなったら、揚げ物も麺類もハンバーグも餃子も出せない。それは旅館にとって多大な負担になるし、私の望むことでもない。もちろん、宿泊だけに60万以上も支出するのは今度は私にとって大きな負担だ。
別に料理をするのは得意というわけではないが、他人に作ってもらったものを原材料をいちいち詮索しながら食べるよりは自分の作った料理を食べるほうがずっと安心で気楽だ。現地生活をして分かったことだが、日々食材を買いに出ることでよそいきでない徳之島の食生活を知ることができた。それはプチ移住の意外な喜びと言ってもいい。
料理道具は現地で調達すればいいとは思っていたが、カミさんが家で余分に持っていたビタクラフトの鍋を持たせてくれた。これはステンレス製の肉厚で蓋が重くて、密閉性が高く蒸し煮もできる調理器具だ。
それと小麦を使わない食材が万が一手に入らないことを考えて、オートミールとそば粉10割の乾麺、ビーフンも持って行くことにした。このうち、ビーフン以外は現地のどこにもないことが、島に行って見て分かった。
あとは、向こうで仕事をするための情報機器だが、前述のモバイルルーターのほかに普段使っているノートブックと携帯用ハードディスク(これには文献をpdf化したものが約100ギガ入っている)、iPad、キャノンのモバイルプリンター、原稿執筆用のポメラ(キングジムで出したメモ用端末)を持って行った。
島に行くに当たって用意したのは以上だが、手荷物として持っていったのは情報機器と衣類とヘルメットぐらいで、あとは宅急便をいつもお世話になっている岡村先生気付で送った。移住生活を始めてしばらくして不足しているものを松本から送ってもらったが、乏しくなりかけていた食材が主だった。それ以外の大抵のものは島でなんとか調達できた。昔と違って都会で普通に使っているものは日本中どこに行っても大体あるものなのだ。