前首相の政治手法を「中小企業のおやじ」と評した記事を見たことがある。けなしたつもりだろうが、それでもけなし足りない。私が見るところ、もしあのようなやり方で企業を経営したら間違いなくあっという間に倒産してしまうだろう。
自分のアイディアに固執し、反対する役人を左遷する。そんなことをしたら部下にはイエスマンしか残らないだろう。実際そうなったのだが、何か大きな組織を運営したことのない人が長になったら大惨事になるいい例だと思う。
こんなことを言うのは研究と経営は似たところがあるとずっと前から考えているからだ。経営というのはつまるところどうやって人と金を動かすかだろうと思う。ところが、「効率的な研究設計」とか「戦略的に研究を考える法」を教えてくれる講座なんてない。
と思ったら、元同僚のK先生が教えてくれた。1991年の京都大学の大学院ではそのような講義があり、「研究をロジスティックス(兵站、補給)から設計する」と教えられたとのこと。驚きだったが、これは先進的な取り組みで今でも日本のほとんどの大学でこんなことを教えているところはないと思う。でも巨額の研究予算の使い道に困っているらしい人を見るにつけ、こういう講義があるべきだと思う。
研究者がお金と研究の関係を考えるきっかけは科研費などの研究費の申請である。ところが、得てして「どうやって研究費を獲得するか」そして獲得した後は「どうやって研究費を使い切るか」は考えても「効率的にお金を使う」ことは思いが及ばない向きが結構あるのではないだろうか。
科研費などは年度内に使い切る義務があるのでお金が余ることを心配するのは理解できる。だが、最初に大きな研究計画を立て、そこから細部の計画を作るのではなく、その場その場で仕事のやり方を考えて実行するような方法で研究を実行するのは無駄を発生させるもとになる。
私がいたころの国研(30年前)は「人海作戦」と言ってなにかとアルバイト頼みの作業を進めることが多かった。ある程度定型化した仕事の場合はどこでミスが発生するかわかっていたし、効率的な進め方も編み出されていた。ところが、今までにやっていないタイプの仕事をアルバイトにまかせると予想外のところでミスが発生したり、非常に能率の悪いやり方になったりする。要は仕事を依頼する側が最初から最後まで作業をやってみて細かいところまで仕事を設計すればいいのだが、なかなかそうはいかない。アルバイトを使うというところで思考停止してしまうのはまずい。
他人に働いてもらうのはいろいろな意味で気を使うし、ときとしてこちらが予想しないことまでやってくれたりするので、このごろはできるだけ自分の力でできる範囲のことしか考えないようにしている。
戦略的な面、すなわち研究プロジェクト全体の妥当性、その研究のテーマが本当に研究するに値するのかどうかについては深い検討がなされるべきだと思う。戦略が間違っていればプロジェクト全体が失敗する。何のためにその研究をやるのか、研究のゴールは何かを明確にしなければならない。研究計画はそのゴールから逆算して考えるべきである。
40年以上の学会観察で見てきたのは死屍累々たる無駄研究の山である。新しい研究を目指そうとするほど、無駄玉は増える。大規模科研と呼ばれる研究をいくつか見てきたが、あとで振り返ってそれがなにを残したのかよくわからないものがある。全体として何を目指すのかが大勢いたメンバーのなかで共有されていなかったのが原因と思われる。
始めから成果が出ることが分かっている研究は独創的な研究になりえない。やってみなけりゃわからないという側面は確かにある。でも、明らかにスジが悪い(これは将棋の用語)研究を長年続けて、巨費を投じていたりするのを見ると戦略的な失敗と思わざるをえない。大きなプロジェクトを始めるときはゴールを定めて、そのゴールを達成するためにどういう方法を使うかの大きな戦略を立てるべきである。戦略を立てるために時間を使うのは全く問題がない。戦略が間違っていればプロジェクトは間違いなく失敗に終わるのだから。
この稿を最初に書いたのは3か月前で、そのままずっと置いておいたのだが、ポストしようとしている今現在はプーチンの戦争真っただ中になっている。戦略的思考を彼が持っていればこれほど多くの人の命が失われることもなかったし、確実に起きるであろうロシアの没落も防げたはずだ。プーチンは戦略的に無理なことを強引にしようとした。最初の一撃が失敗したあともずるずると戦闘を続けて傷口を深くしている。今や戦略なき戦いである。
戦略が必要なのは研究でも軍事でも同じことだ。こんな形で戦略の重要性が誰の目にも明らかになるとは不幸なことだ。