失意の数週間

ここ何週間か非常に気分が落ち込んでいる。コロナのせいではない。非常にローカルな問題が原因である。
地元のプロサッカーチーム、松本山雅FCがJ2からJ3に降格した。降格が決定したのは11月末だが、その何週間も前から降格必至なことは誰の目にも明らかな状態だった。気分がすぐれないのは降格したことのせいだけでなく、成績不振の原因を作った社長とGM(ゼネラルマネージャー)が辞めないからだ。過去2年間に3人の監督をクビにした張本人が早々と留任を言明した。「責任を痛感しているが」辞めないと社長は宣言した。3年前にはJ1にいたチームがJ3にまで落ちるというのは前例があまりない。よっぽど変なことをしなければ、こんなことにはならないが、実際に社長とGMのしたことはひどいことだった。
来年もこの体制が続くのであれば、松本山雅が黄金時代を取り戻すことはないだろう。未来に希望が持てないのが一番悲しい。12年間応援してきたが、あと12年経ってもJ2に復帰することはないかもしれない。
困ったことにローカル紙の信濃毎日も地元出身のサッカージャーナリストも正面切って経営陣の責任問題を取り上げない。他チームは昇格できなかったというだけで社長やGMが退任するのが当たり前だ。松本山雅の経営陣は自分から辞めると言わないかぎり居座ることが可能な仕組みになっている。経営陣は県内最大のマスコミを味方につけて自分たちは安泰だと思っていることだろう。
でも、この新聞は30年前の松本サリン事件のときに無実の会社員を犯人に仕立て上げ、毎日のように糾弾していたのだった。あのときは取材源である警察が地元紙を贔屓してリークした情報をそのまま吟味することなしに記事にしていた。ひどいものだ。ジャーナリズムが自分で考えたり調査したりすることを放棄してしまったのだ。
信濃毎日は警察との良好な関係を壊したくなくて結果的に一個人の人権を踏みにじったことになる。私はあのときからずっと地元紙は信用していない。今回もやっていることは同じだ。山雅に批判的な記事を書いて出禁になったら困ると思っているのかもしれない。でも、これは経営陣と留任が決まった監督を利するだけで、決して山雅のためにならない。毎度のことだが、ジャーナリズムに対して失望を感じる。それからサッカージャーナリストのMさんの言うことはこれ以後信用しないことにする。

サリン事件以後、気をつけて新聞を見ていると独自に取材をして調査報道をすることが少ないと思う。たとえば、「消えた年金」問題も当時の厚生省側に立った見方をしていたために長妻議員が追及をするまで実際の問題が把握できていなかった。実際は受給資格者がいくつも訴訟を起こしていて(すべて敗訴)その段階で問題が発見できていたはずだった。記者クラブという特権があるために役所からの情報をそのまま垂れ流す構造になっていて、結果として広報紙に成り下がっていたのだ。
オリンパスや東芝の不正経理の問題も公開されている財務情報を何年かにわたって見ていれば分かったのではないだろうか。実際にオリンパスの不正経理疑惑を最初に報道したのは、知る人ぞ知る小雑誌だった。耐震偽装の問題も独自に調査できたことだったのではないか。会社の記事を書くときは取材源である会社に忖度してしまうのだろうか。
統計を見るだけでいろいろなことが分かる。「データサイエンティストの養成が急務」などと書いている新聞社こそデータサイエンティストを活用すべきだと思う。
というわけで新聞記事を見て感心することがなくなった。唯一面白いと思って見ているのは株価のページに載っているコラム(朝日新聞だったら「経済気象台」)だ。執筆者は大学関係者などらしい。どこにも遠慮する必要がないので言いたいことを言っている。

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カテゴリー: 雑文

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