研究と経営 戦術編

研究の話の続きになる。
予算が決められていて、ある程度の枠が保証されているとお金がかからないやり方を追求する動機が弱くなる。しかし、今のようにいろいろな技術が次々に現れる時代はお金と時間を節約するやり方を常に探るべきだと思う。そのための装備は研究者たるもの準備できていなければならない。
1980年代の国研の計量研究部は私の所属ではないのだが、ここでは新聞の記事や教科書の本文を電子的なデータにして研究するということをしていた。電子的なデータにするのは外部の業者に依頼するのだが、これが漢字かな交じりの場合1字1円から2円だったと記憶する。
今の若い人は見たことも聞いたこともないかもしれないが、ワープロ専用機というものが1980年代に出て爆発的に売れたことがある。液晶画面がついていて文書を入力・編集ができ、フロッピーディスクに記録できて印刷できるという機械である。ほとんどパソコンのようなものなのだが、ワープロ機能しかない。いろいろなメーカーが競争したので、あっという間に10万円程度で買えるようになった。一方で漢字入力が簡単にできるパソコン一式をそろえるとなるとその数倍の予算が必要になった。ほんの10年ぐらいだったと思うが、ワープロ専用機の価格優位性がはっきりしていた時代があった。
ワープロ専用機のフロッピーの記録形式は独自のものが多かったが、それも当時何種類も出ていたパソコン雑誌の記事のなかで解読され、専用ワープロのファイルをパソコンのデータに変換するプログラムが掲載されるようになっていた。今の若い人たちにフロッピーと言っても何のことやら全然わからないかもしれないが、もし分からなかったら昔のことを知っている人に実物を見せてもらってください。簡単に言えばSDカードと同じような記憶媒体だけれども、ずっと大きくて、でも記憶容量ははるかに小さい代物だった。
そのような時代になっても相変わらず外部業者に文字データの入力を外注することは続けられていた。もし、真剣に経費節減を考えていたら10台でも20台でも必要なだけワープロ専用機を購入し、アルバイターに入力をさせるというやり方もあったのではないか。入力したデータは上述のプログラムでパソコン用に変換できる。おそらく1字50銭以下で入力できただろうし、その結果予定より多くのテキストを入力することにもなったかもしれない。ワープロ専用機を買うのに1台10万円かかったとしても、アルバイトの謝金を考えたら安いものだ。ワープロ専用機の時代は短かったので、有効に使えた期間は長くなかっただろうけれど。
現代はデータの整理はエクセルでするのが当たり前になっている。自分以外の方言の研究者の仕事ぶりを垣間見て、もしやと思っていることがある。正面切ってするのがはばかられるのだが、エクセルの統計操作の機能をご存じかどうかかどうか質問したい。
というのは、平均を出すだけで中央値も標準偏差も使わないような論文を見たことがあるからだ。
いままでずっと方言研究をやってきた人が社会言語学的調査をしたりすると、エクセルに統計処理の機能があり、容易にその機能が利用できることを知らなかったりするのではないか。平均や標準偏差、中央値など求めることができる。自分から求めなければそういう機能の使い方など知りようがない。
基本的な統計操作も知らないのではというのは本当に邪推なのだが、私の知るところ大学の先生は特に高齢の場合他人に教わることが苦手である。だからそういう失礼な想像が当たっている可能性は高いと思う。
エクセルの一番基本的な使い方を知っているかどうかは研究の経済性を左右する。研究補助者がいなくても統計処理作業ができれば謝金を節約できるのである。今は便利な統計処理ソフトが手軽に使える時代である。でもそこに行く前にエクセルで基本的な統計処理ができることを知ってほしい。
ある研究会の発表でびっくりしたのは言語地図を作るためのソフトをプログラマーに頼んでわざわざ作ってもらったという報告だった。今はGIS(地理情報システム)を使って言語地図を作るのが当たり前になっていると信じていたのだが、「車輪を再発明する」人がいたのかという驚きである。(「車輪を再発明する」は英語の”reinvent the wheel”という熟語の訳)
オーダーメイドのソフトはお金もかかるし、地図のできばえもGISに劣る。かりにできばえが素晴らしいものであれば、それはソフトに不釣り合いなくらいお金をかけたことになる。統計処理のエクセルとおなじように言語地理学でのGIS利用は常識になってほしい。
そしてもうひとつどうしても言わなければならないのは、基本的なプログラミング能力のことである。
方言研究の材料が文字データの形になることが多い今、簡単なプログラムで処理できるようなことを研究者自身あるいはアルバイトがするのをときどき見かける。人手だったら1年かかることがプログラムをかければ1分もかからずできてしまうことがある。プログラムを使えば人手に頼らなくていいので時間だけでなく研究経費もはるかに少なくて済む。人手ですることを想定してお金や時間の制約から諦めていた研究がプログラミングで可能になることもある。
ところが、人力に頼るやり方が身についているとプログラムを使うことなど全く思い及ばない。方言研究者のなかでプログラミングができる人はどれくらいいるだろうか。若い人でもその能力がある人はあまりいないようだ。はたから見ていて本当に危機感を感じる。
今からプログラミングを学ぶのはハードルが高いと思うかもしれないが、作業が楽になる程度のプログラムはそんなに複雑ではない。知人のM氏は還暦の数年前にPYTHONというプログラム言語を習得し、作業の省力化に役立てている。年齢に関係なく学習できるものなのだ。
私は地球上のさる所に生息する生命体から「じいじ」と呼ばれて喜んでいる文字通りの老人だが、その私が若い人たちにプログラミングの効用を説くなど本当におかしな話だと思う。習得とかマスターとか使いこなしとかは言わない。必要最小限でいいから使えるようになってほしい。

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カテゴリー: 雑文

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