ある訃報

 一週間前にY先輩が亡くなっていたことを知った。U先輩からのお知らせだった。そのあと個人的にいろいろなことがあったが、Yさんのことはどうも消化しきれていない。
 Yさんは大学で私の3年先輩だった。前に「頭の良さを持てあましている」と書いたことがあるその人だ。いつも大学に背広を着て現れ、ときどき斜に構えた警句っぽい言葉を発した。だけでなく、飲み会に行けない言い訳に「家賃を払わなければいけない」と言った後輩に対して、「そんなのは踏み倒せばいいんです」と本気とも冗談ともつかない不穏当なことを平然と言う人でもあった。
 「アンドレアデルサルトによれば」などと聞いたことがあるような固有名詞を持ち出して煙に巻くのはいつものことで、かと思えば親友のUさんの故郷を「あそこは日本のチベットだから」とからかうのもよく目撃された。
 ちょっとだけ注釈を加えると50年前は確かに北上山地を「日本のチベット」と形容する言い方が存在した。もともとは気候が厳しく生活が困難な北上山地をチベットにたとえたものだが、何となく差別的なニュアンスがあった。チベットに対しても北上山地に対しても失礼極まりないが、そのときは別に問題視されることもなかった。チベットの文化は独自のユニークなものであって高度に発達した、むしろ尊重すべきものであることをここでは強調しておく。YさんはUさんが岩手県でも北上山地とは別の地域の出身であることを承知のうえでからかっていたのだと思う。
 考えてみれば、私のジョークのレパートリーの何分の1かはYさんの受け売りだ。
 教室でも飲み会の席でも端然と座っていた姿が目に浮かぶ。初めてお目にかかったときの印象は「秀才」だった。言語学の問題について質問すれば、快刀乱麻を断つの趣で明快な答えが返ってくる。ご自分の才能に自ら恃むところ大きかったのは間違いない。
 ドイツ語やフランス語の小説を原書で読むのを楽しみにしていた。ちょっとマイナーな作家の本を貸していただいたこともある。共通の趣味があったことに驚いたものだ。
 こんなYさんのことだからさぞかし人を驚かせるような論文を発表してくださるのではないかと思っていたが、ついぞそのようなことは起きなかった。読書三昧の生活に浸りきっていたようだった。
 仙人のような暮らしぶりはうらやましくあるが、とても自分にはできない。でも思い返してみると自分のどこかにYさんから受け継いだものがある。50年前のことを思い返すとYさんの声も口調もよみがえってくる。それは確かに自分の一部になっている。
 Yさんがいなくなったことを消化しきれないのはたぶんそのためだろう。割り切れない思いをずっと引きずっていくのだろうと思う。

投稿日:
カテゴリー: 雑文

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です