リックとの会話

 11月の信州大学人文学部の「多文化交流サロン」の題は「シンポジウム 能とギリシア悲劇との出会い」だった。講師のなかになつかしい名前を発見したのだが、その話の前に「多文化交流サロン」とは何かご存じない方のためにちょっと説明したい。
 これはもう10年ぐらい前から続いているのだが、外国文化や外国語に関することについて学部の教員や外部の人に講師になっていただくというもので、誰でも参加できる。
 懐かしい名前というのは能について話をしたリチャード・エマート武蔵野大学名誉教授だった。この名前を見たときに私は人文学部のHPをこまめにチェックしていなかったことを激しく後悔した。「多文化交流サロン」はその10日前に終わっていたからだ。もっと早く知っていれば駆けつけて再会を喜べただろうに、その機会を逸してしまった。
 エマートさん、あのころはリックと呼ばれていたが、リックと話をしたのは47年前、那覇から東京に向かう船の中だった。私はなぜか学外の人間なのに芸大の小泉文夫先生のゼミに潜り込んでいて、ゼミの先生達や学生と一緒に沖縄の民謡調査に行っていたのだ。あのゼミはちょっと特別で、外部の学生や他大学の先生がやたらに多かった。
 リックと初めて話をしたのは那覇から東京へ帰る船の中だった。二人とも昼食用に買ったいなりずしを食べていた。私はこのときに初めて関西風のいなりずしを見たのだと思う。関東風の甘辛く煮た油揚げの中に酢飯を入れた俵型のものではなく、油揚げを三角に切って五目飯を詰めたものである。
「これおいしい?」
リック「結構おいしいよ」
いなりずしに対する先入観をこわされたが、食べてみると確かにおいしかった。アメリカ人でもおいしいと思うのだろうかと思って聞いたのだが、あとで考えれば失礼な質問だ。リックとの会話はすべて日本語だ。留学生として来日して何年たっていたか不明だが、リックは日本語の会話でまったく違和感がなかった。
「エマートってドイツ系の名前だよね」
「僕のいたコミュニティーの人たちはスイスから来たんだ。だから、ドイツ語で話をする人もいたよ」
 メノナイトというキリスト教の宗派の人たちが作ったコミュニティーだそうだが、リック自身がその教えに深く帰依しているようには見えなかった。メノナイトは良心的徴兵拒否が認められていて、兵役の代わりに病院で仕事をしたりするのだそうだ。1975年という年はベトナム戦争が終結した年だった。日本に来る前のリックは徴兵年齢だったので、病院勤務をしたかもしれない。そういえば、「ヘアーはいいミュージカルだ」とも言っていた。ベトナム戦争と若者が主題のヘアーはアメリカの若者には切実なものだったはずだ。
 メノナイトという宗派のことはこのときに初めて聞いてそれっきり思い出すこともなかったが、信州大学で教えるようになって、栃木県から来た学生が「私の町にメノナイトの集団がいる」と言ったのでびっくりしてしまった。

 今から20年ぐらい前だったか、朝日新聞の「ひと」欄に懐かしい名前を見つけた。外国人の能の演者として紹介されていた。能の研究者という肩書きもあったかもしれない。いやむしろそちらで紹介されていたはずだ。リックは日本にずっと住んでいたのだと分かった。
 リック、いやエマート教授はハレー彗星のように時を隔てて何度も私の目の前を通り過ぎる。今度もし会う機会があったら、そのときは昔の話をしたいものだ。

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カテゴリー: 雑文

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