NHKの「朝のテレビ小説」いわゆる朝ドラをここ30年ほぼ欠かさず見ている。
朝ドラの時代設定は明治から現代までさまざまだが、戦後から昭和50年代だったりすることが多い。それくらいだと私の生きてきた時代とかなり重なる(1955年以前だとさすがに記憶がない)ので、時代考証がおかしいときは「あれっ」ということになる。
一般にNHKのドラマは小道具大道具が本当によくできていていつも感心させられるのだが、台詞はときどき時代設定からはずれていることがある。脚本ができるのがぎりぎりだったりするとチェックが間に合わなくなるのかもしれない。
「とと姉ちゃん」(放送は10年前?)で主人公が「ほぼほぼ」と言ったときは「ここ10年か20年前に出てきた言葉なのに60年前の設定で使うのはおかしい」と思った。
2024年4月に始まった「虎に翼」でも同じようなことがあった。7月4日の回で主人公が「離婚と親権の問題少しでも早く着地させます」と言うのだが、「着地する」の抽象的な意味の用法は最近聞くようになったもので、1950年前後にはなかったはずだ。その証拠に2020年に第一刷が出た『新明解国語辞典第8版』には「着地」という項目はあるが、「~する」の意味として立てられているのは体操競技のフィニッシュの動作だけである。新明解に新用法が載るのはそれが発生してから30年後ぐらいなので、1950年前後には影も形もなかったと推定できる。
『精選日本国語大辞典』は1952年の用例を「着地する」の初出としている。阿川弘之の「春の城」で「着地すると服装をビルマの服に整えて」とあるが、これは空挺隊員がパラシュートで着地したことを言っているらしい。もとの小説に当たれないので、推測なのだが。
「朝日クロスサーチ」で縮刷版の見出しに使われた語を検索できるがそこでの「着地」の初出は1945年6月(まだ戦争中)のもので、やはり空挺部隊の着地を指すものだった。その後、アポロ宇宙船の着地(月着陸のこと?)、ジャンボ機、スキージャンプ、走り幅跳び、体操床運動に関連した用法が1985年(この年から記事がデータ化されている)まで見られる。
「着地する」の抽象的な用法は1991年6月24日イトマン事件に関して「捜査はどこに着地しようとしているのか」が朝日新聞の記事での初出となる。
これも推測に過ぎないのだが、オリンピック競技として体操やスキージャンプがテレビ中継されるようになって「着地」という言葉が一般的になったのではないか。そこから抽象的な意味の「着地する」が出てきた。テレビ中継がきっかけだったとしたら、テレビ視聴が一般化する前の1950年前後にはなかった言葉ということになる。
なお、「着地する」が気になって8日から注意して見るようにしたら、11日までの4日間毎日気になる言い方に遭遇した。
やばい(「まずい」と言うのでは?)
(相手の気持ちに)寄り添う
現実(副詞的な使い方。「現実には」と言ったはず)
終わってる(比喩的な言い方)
70数年生きてきた私の感覚ではみんな最近になって聞く言い方だが、時代考証的に正しい言い方にしたらせりふの迫力が落ちるだろうことは想像できる。それでも今の視聴者に理解はしてもらえるだろうことも。気を付けて見ないとことばと時代が合っていないことに気づけないのだが、それくらい微妙なのかもしれない。
さらに時代をさかのぼって漱石の小説の会話文は今の読者にとってかろうじて理解できる代物だろうと思う。これぐらいになるとことばが古いのは誰の目にも明らかになる。
ことばは少しずつ変化するというのはこういうことなのだろう。