山の神様

信州には山の神様というものがある。いや実は全国にもあるらしいのだが、これは集落の山にある小さな祠で普通の神社にあるような神名はない。ただ「山の神様」と呼ばれている。たまに何かのきっかけでちょっとした神社の体裁を備え神名までついたりすることもあるが、それでも集落のなかでは「山の神様」と呼ばれることに変わりはない。
ウィキペディアによれば「山の神が春に里に下りてきて田の神になる」という信仰から来ているということになっているが、単純に山が与えてくれる恵みに感謝するものと考えてもいいのではないだろうか。
山からは春には山菜が、秋にはあけびなどの木の実やきのこ類がとれる。自然薯(じねんじょ)もとれる。キジやヤマドリ、イノシシなどの獲物もある。山が与える恵みはとても大きい。
江戸時代中期に松本藩で作られた『信府統記』の神社仏閣編には各集落に存在する神社名が列挙されている。大きな神社だと社地の大きさや由来、神名などが詳細に記されるが山の神様は「山神」とあるだけである。現代に生きる我々の感覚からすると不思議なのは松本盆地の真ん中でその集落に山がないにもかかわらず「山神」が記載されていることがある。いったいどういうことだろうか。またそれは現在にも生き残っているのだろうか。
結論から言うとそのような集落にも「山」はあった。それだけでなく、その集落が生き延びるためには不可欠のものだった。それは林である。現代に生きる我々にとって主なエネルギー源は石油やガス(および電気)だが、江戸時代の主要なエネルギー源は薪や炭だった。炊事やいろりの燃料、風呂を沸かすために薪は欠かせない。江戸時代の農村は自給自足が当たり前でだった。1年間に1家族がどれだけの薪が必要とするか、それをまかなうためにどれだけの大きさの林が必要かを考えてみよう。1本の木が薪として使えるようになるのに10年かかったとすると、1年に消費する薪の10倍の木がないとその林を維持しながら薪を取ってくることができない。数十軒の家から成る集落だったらどれだけの大きさの林になるだろうか。平地の集落には広大な林があってそこは集落の入会地で山の神が祀られていたと想像する。
林からは山菜やきのこもとれたが、たき付けに使う小枝(そだ)も落ち葉や下草も重要な資源だった。落ち葉や下草は肥料になった。持続可能な農業のために林は不可欠だった。実際に江戸時代を通じて使いすぎで農地が荒廃することはなかった。農地を切り開くときに林を残したのは土地を最大限に利用するための智恵だった。
今google earthで松本盆地を見ると平地の真ん中は農地と宅地、それに神社の森や寺、いろいろな建物や道路のほかには大きな林など面影もない。山の神の祠を探そうと思っても手がかりがないのだ。信府統記で山神が記録されている高宮村は町の中心に近く、大きな道路やビル、ショッピングセンターや住宅など都市化が極まっている。線路の向こう側の公園はもしかすると集落の入会地の林のなれの果てかもしれないが山の神様の社はなさそうだ。奇跡的に痕跡が残っているかどうか今度機会があったら調べてみよう。

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