島で会った鳥たち

 変化に乏しい4ヶ月のなかで最大の慰めとなったのは鳥たちだった。何年も経った今でも出会いのいくつかは映像として思い出すことができる。
 なかでも印象深いのはアカヒゲだ。全体に赤く、腹は白いがくちばしからのどにかけて黒くてひげのようにみえることからこの名がある。屋久島以南に分布していて天然記念物でもある。徳之島にいるあいだ数えるほどしか遭遇していない。
 初めて見たのはウンブキという鍾乳洞の入り口である。ここは窪地になっていて階段を下りるとちょっとした平地になっている。その先は海に続く鍾乳洞が口を開けていてそこから潮の満ち干で海水が出たり入ったりしている。
 この窪地の底でアカヒゲに出くわした。いつの間にか目の前5メートルぐらいのところに下りてきて、目の前をゆっくりと横切った。こちらを警戒しているようには見えない。私ひとりのために姿を見せに来たかのようだった。
 二度目は平土野の闘牛場の横の坂道を自転車を押して上っているときだった。道に覆い被さるように茂ったガジュマルの大枝から突然下りてきて羽を広げくちばしを開けて私に抗議するようなそぶりを見せた。
 私はそのまま通り過ぎてしまったのだが、あとで鳥に詳しいFさんに聞くと道の上のガジュマルの大枝にアカヒゲの巣があって雛を守るために威嚇したのではないかとのことだった。蟷螂の斧というが、小さな、か弱い鳥が精一杯見せた勇気だ。
 こんなに印象的な出会いがあったが、自分にとってアカヒゲが唯一無二のものになっているのは、その歌声による。ソプラノで長いメロディーを歌う。初めて聞いたときは姿は見えなかったがFさんがあれはアカヒゲだと教えてくれた。一度聞いたら忘れることはない。借りていた家に近いこともあって、三日に一度はウンブキを訪れたが姿が見えなくても声を聞いただけでアカヒゲだと分かることが何度かあった。
 美声で私を楽しませてくれた鳥は他にもいる。イソヒヨドリは日本中にいて決して珍しい鳥ではないが、どこにでもいるというものでもない。ところが、浅間集落では人家の近くで頻繁に見かける。この鳥はアカヒゲほど複雑ではないが長いメロディーをアルトで歌う。鳥を見つけるとそれだけでうれしいのだが、姿だけでなく声で私に喜びを与えてくれたのはこの二つの鳥だった。
 台風が来る直前に庭の木に止まっていたコゲラを間近に見た。山にいたのだが台風を避けて風よけの多い集落に下りてきたのだろう。
 別の台風のとき(4ヶ月のあいだに3回ぐらい台風が来た)は窓から外を見ていたら赤い色が一瞬見えて隣家の巨大なガジュマルの緑のなかに隠れた。大きさと色からしてアカショウビンに違いないと思った。後日、与名間の集落に早朝行ったとき、電線にとまっているシルエットを見た。形からはアカショウビンでしかありえなかった。カワセミに似ているが、それよりはずっと大きい。昔、石垣島で間近に見たことがあるだけなのでこんな断片的な見え方でもうれしかった。
 松本の我が家の周囲で見る鳥も島にいたが遭遇の仕方がまるで違っていた。簡単に言えば人との距離が近いのだ。人が危害を与えないと知っているからなのか、数が多いのでどうしても人に近くなってしまうのか、それとも両方の理由からかもしれない。
 ヒヨドリは集落のなかで一番よく見かける鳥だった。いつもそこかしこにいる。イソヒヨドリは遠目にはヒヨドリと区別がつきにくいが、ヒヨドリの次ぐらいによく見る鳥だった。
 夕方、散歩代わりに自転車で平土野の港に行って帰ってくることがよくあったが、その途中、火力発電所の建物にシジュウカラの大群がとまっているのが常だった。夜のあいだのねぐらにするのだろう。シジュウカラがあんなに群れていることは珍しいのではないか。
 縁側から網戸越しに外を見ていたら目の前をウズラが走って通り抜けたのでびっくりしたこともあった。ウズラは本当に飛ばずに走るんだと感動したのと両方だったが。
 メジロもカワセミもキセキレイもツバメ(リュウキュウツバメ)もどこでどんな会い方をしたか覚えている。いつもどこかに鳥がいる空間は私にさびしさを感じさせなかった。

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